この10月でコラムの連載を始めてから、何と丸々10年経った。2010年10月20日号が連載1回目。箸休めの様なこのコラムを10年も掲載して頂いた北米報知や読者の皆様には本当に感謝の気持ちでいっぱいである。
2020年は、多くの人にとって予想していたものとは全く違う現実に向かいあう年となったのではないだろうか。世界中の人が予想もしなかったパンデミックという状況に肉体的にも精神的にも、そして経済的にも困難な状況に陥っている。今ある希望は、ワクチンの開発が世界中でものすごいスピードで進み、供給までのタイミングが薄っすらと見えている事だろう。この秋冬は色々な意味で試される時である。パンデミックだけでなく、この一年は各個人の倫理観が問われるような出来事が次々と起こった。今まで半分蓋をしたような、出来れば目を背けたい事を直視しなければならないような状況となった。
日本ではスポーツ選手の政治的発言や行動に対する反発は米国より高いが、大阪なおみ選手の2年ぶり2度目の優勝を果たした全米オープンでの振る舞いは多くの人の心を揺さぶった。初めての優勝時の大阪選手のインタビューも、人柄をよく表していた。今回の行動は、大阪選手が歩んできた人生に対しての色々な考えや感情が見えたのではないか。毎試合毎試合、人種差別による不当な扱いのために亡くなった人の名前の付いたマスクを着けてコートに登場。優勝時のインタビューで「何を伝えたかったのですか」という問いに、「あなたはどんなメッセージを受け取りましたか」と即返答。この一言は、彼女がこの問題に向き合って来た濃度が一瞬で分かった答えだった。それぞれの人にこの問題について考えてほしいという願い。
2年前の優勝時は、祖父から贈られたというパールのイヤリングとペンダントのセットを身に着けていた。今回の優勝時は、パールを着けていなかった様に見える。耳たぶの上にあるのは一粒のダイヤではなく、何かしらデザイン性のあるフラットなダイヤのピアス? 耳元の近い写真がないので見る限りでの想像なのだが。2019年のフレンチオープンでは、右耳にディオールの「Oui」を象ったピアスを着けていたようなので、今回も有名ブランドの物かもしれない。
ちょっと驚いたのは、大阪選手が縁起を担いでいないことだ。スポーツ選手はもとより、受験生など一般の人でも縁起を担ぐ人は多いだろう。確かシーホークスが優勝した時は、クオーターバックのラッセル・ウィルソン選手は髪を切らなかったのではなかったか。他の選手に関しても、右から靴下をはくとか、ベンチから何歩でバッターボックスまで歩くとか、聞けば聞くほど色んな縁起の担ぎ方がある。大阪選手は祖父から贈られたパールのセットで2年前の優勝を果たしたので、今回別のピアスで決勝戦に挑んだのは少し以外でもあり、縁起担ぎをしない精神的な強さを身に着けたとも言えるかも。今年の全米オープンは人種差別に対しての気持ちが大きな支えだったのではないか。
同号ではこの10年を振り返った内容にしようと思っていたのだが、過去を振り返るより今でありこれからだと思い直した。何かのために戦う女性は美しい。色々な分野で不平等や理不尽さを減らすため、未来の世代が自分の世代よりも良くなるように戦っている。男性が戦っても称賛されるだけだが、まだまだ女性が戦う事に対しては大きな抵抗が伴う。そんな外野の声をものともせず、信念のもとに戦う女性が増えているのは嬉しい限り。そして今時の戦う女性はそれぞれの美しさも大切にしている。美しい物を身に着けるだけでなく、自分自身の肉体も慈しみ手入れをしているように思う。私には娘が3人いるが、3人それぞれの信念を持ち、その信念のために戦う事をいとわず、そして自分自身も大切にしてくれるような女性になって欲しい。
最後に、長い時間をかけて勝ち取った女性の一票は重い。大切に使いたい。