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堀川英義さんの白寿を祝う会

シアトルの堀川英義(エディー)さんが8月に99歳の誕生日を迎え、シアトル別院ダイニングルームに約40人が集って白寿が祝われた。

堀川さんは1920年に誕生した日系2世で、両親はシアトルの日本町(Maynard Ave. S.)で金物店を営んでいた。第二次大戦中には最強の日系人部隊として名高い442連隊の一員としてヨーロッパ戦線に赴き、2度の負傷を経験。存命の日系兵士の中では最高齢グループに入る。祝賀の昼食会には在シアトル日本国総領事館から東條浩明総領事補佐、二世退役軍人会(NVC)からウォルター・タニモト会長も出席。日米間の良好な関係は日系市民の貢献に負うところが大きいとの山田洋一郎総領事からの謝意と祝意が東條領事から伝えられ、タニモトNVC会長からは戦闘従事記念バッジが贈られた。

堀川さんは戦後、ワシントン大学大学院を出てから日本に10年近く滞在。その間、大学で英語を教える傍ら、妻の徳禧久(のりぎく)さんの祖父が興した雄生流池坊の生け花を学んだ。シアトルに戻ってからはボーイングに勤めながら、龍生派師範の徳禧久さんと共に、生け花インターナショナルのメンバーとして夫婦で華道普及に努めてきた。

日本文化への造詣は深く、日本滞在中には浄土宗僧侶の資格も取得している。「でも、口数が少なく、自分のことはあまり話さない人です」と徳禧久さん。現在は耳が遠く足腰も弱っているものの、食欲は旺盛で、徳禧久さんによる介護を受けつつ自宅で暮らす。会場では、出席者からの祝いの言葉に笑顔でうなずいていた。

なお、池坊の免状最高位である総華督で2000年に105歳で亡くなった当地の児玉細枝さんは叔母に当たる。生け花を愛する心と長寿が共通するふたりとも言えるだろう。

(楠瀬明子)

福岡県出身。1988年から99年まで北米報知編集長。