新年になったと思ったら、あっという間に1カ月が過ぎた。物議を醸した北京冬季オリンピックだが、大事に至らず開幕してホッとしている。
今回は、2022年に80歳になる父への一編としたい。私の父は、新潟県の佐渡島で生まれ育った。佐渡と言えば、つい先日「世界文化遺産」登録を目指してユネスコへの推薦へ大きく傾いた。私も、祖父が亡くなった高校1年の頃までは1、2年に1度は夏休みに佐渡を訪れたので、金山も数回は行った。佐渡金山の採掘作業を再現した宗太夫坑江戸金山絵巻コースは、等身大サイズの人形が再現している。さぼっている者あり、とぼけた表情の者もありと突っ込みどころ満載のコース。特に他に大きな観光名所もないので、佐渡と言えば金山が名所なのだ。
私の出身地茨城は太平洋側だが、新潟から佐渡へ渡るフェリーから見た日本海は、群青色と言うか、暗い海だという印象が今でも残っている。
順徳天皇、日蓮聖人、世阿弥などが流刑になった地でもあり、そういう歴史も手伝ってか物悲しいというか寂しいというか、そんな印象が強い。最後に行ったのが30年程前。今年、父と一緒に行ってみたいと思うのだ。
世界各国で色々な時代に「金の文化」が存在したが、日本のそれも世界に負けてはいない。「黄金の国ジパング」なのだから。
佐渡金山より前に、日本の金の文化が世界に認められている。2020年12月に「縁付金箔」がユネスコ無形文化遺産に登録されたのだ。この縁付金箔は0.1ミクロン(1万分の1ミリ)という超極薄の金箔製造。
現在の日本で使用される金箔の98%は金沢で製造されている。金沢での製造開始がいつなのか定かではないが、1593年に前田利家が製造を命じた書が残っているそうなので、少なくとも400年の歴史はあることになる。江戸時代には、江戸と京都以外で金銀箔類の製造・販売をすることが統制がされ、金沢での製造が禁じられた。しかし加賀百万石では、密かにその技術を守り江戸幕府の崩壊とともに表舞台に返り咲いたのだ。
一般の人であれば、金を0.1ミクロンの薄さにまで打ち延ばす技術が難しいと思うだろう。しかし金箔づくりの要は金ではなく、それを伸ばすときに挟み込む箔打紙の加工なのだそうだ。箔打紙(はくうちし)はジンチョウゲ科の雁皮(がんぴ)という植物から作られる和紙を、灰汁・柿渋・卵白などに付け込み、絞って機械打ちをして加工したもの。その良し悪しが、金箔の品質を左右するのだそう。
金箔と言えば、金閣寺の愛称で知られる鹿苑寺。何度も修復が施されてきたが、現在は0.5ミクロン程の通常の金箔の5倍程の厚みの金箔が使用されているそうで、しかも2重で張り付けられている。昭和30年の大修復では通常の薄さの金箔が使用されたが、10年程でボロボロと剥がれ落ちてしまったために、その教訓が生かされた。
通常の金のジュエリーとは違った、金箔をメインにしたアクセサリーを「箔座(Hakuza)」という店で見つけた。金箔を使用した食品や革製品、化粧品なども販売している。ジュエリーは買ってもアクセサリーの類はこの20年ぐらい買っていなかったが、色の違う金箔をアクリルに閉じ込めたバングルを思わず衝動買いしてしまった。金の配合によって色味が違うのだが、純金99%+純プラチナ1%の永遠色という名の金箔と、純金92%+純プラチナ8%の久遠色という名の金箔が、踊るように重なったりしている。アクセサリーとしても素敵だが、金箔と言う伝統技術を身近に楽しめることが嬉しい。
禁じられた江戸時代でも守り抜いた加賀百万石の技術だが、他の多くの伝統工芸と同様に後継者不足による危機を迎えている。
日本が誇る技術を守るための新し試み、是非とも応援したい。