今更ではあるが、令和になってとても違和感のあることがある。平成のH○○年から、令和のR1年となったこと。平成のHと昭和のSは馴染みが深いが、明治のMや大正のTも考えてみれば違和感がある。
前回に引き続き、皇室の歴史や日本の伝統に関連する話を。前回、「上皇と言って頭に浮かぶのは歴史の教科書で習った後鳥羽上皇」という話をしたが、後鳥羽上皇と天皇即位の必需品とされる三種の神器は、因縁関係がある。実は、天皇即位時に必要な草薙剣は、後鳥羽天皇が82代天皇として即位する時には紛失していた。いや、紛失というと語弊があるかもしれない。草薙剣は壇ノ浦の戦いにおいて、安徳天皇の入水と共に関門海峡に沈んだままだったのだ。そのため、後鳥羽上皇は伊勢神宮から献上された剣を草薙剣としたと史記に残る。最後は承久の乱で負け、隠岐に流されたまま生涯を閉じた後鳥羽上皇。オリジナルの草薙剣がトラウマかどうかは分からないが、後鳥羽上皇は御番鍛冶制度を創設し、自らも慰打ち(なぐさみうち)として刀鍛冶をしたそうだ。慰打ちとは、高い身分の者などが作刀することだそうだ。かなりの名工だったようで、銘なしの16弁の菊文で菊御作(きくごさく)と呼ばれているのだそう。
世界の剣の中でも、日本刀が最も強度が高いということを科学的に解説したテレビ番組を以前見て、匠の技と伝統を誇りに感じたのを覚えている。青銅製だった古墳時代から平安末期頃には鋼の刀になったようだ。しかし、現代の刀鍛冶は江戸時代ぐらいからの方法で、平安時代の製法は文献が無く、はっきりとは分からないらしい。ただ日本刀の特徴としては、砂鉄を使う事で不純物の少ない玉鋼をつくり、そこから刀を形成する。1㎏の刀であれば、玉鋼は10㎏必要らしい。金属を叩いて圧力を加えることで、内部の空洞を潰しながら結晶を細かく、そして方向を整えることによって強靭にしていく。金属も熱すると液体となるが、熱している時点で沸点の低い成分は飛んで純度が高まる。溶けるまで熱しては叩くの工程を繰り返す理由はここにあるらしい。
密度の重要性は鋼だけではない。ほぼ炭素のみで出来ているダイヤモンドと鉛筆の芯の硬さの違いも、炭素の密度とその結びつきの違いにある。ダイヤモンドの硬さは、地表から150~250㎞の自然界の凄まじい圧力と温度により形成される。
金属を叩いて強度を上げる技術は刀に限らず、色々な金属に応用されている。その分野は宇宙開発物から、指輪などの装飾品にまで渡る。ジュエリーの制作は、大まかに鋳造法と鍛造法に区別される。私も、何度かカスタムメイドで指輪を作ったことがあるが、そのどれもが鋳造法でワックスで型を取って好みのデザインに仕上げた。3度作り直してやっと、自分の納得のいくものとなり、15年近く毎日私の指にある。太めの枠という事もあり、しっかり頑丈に見えるし、持った時の重量感も十分ある。だが、この頑丈な見た目は鍛造品の前においては全く歯がたたなかった。
最近、縁があって鍛造法で指輪を作ることとなり、2か月後に完成した指輪を見た時は本当に息を飲んだ。鍛造の「鍛」、鍛え抜かれた無駄のなさとでも言おうか。同じ体重でも鍛えられた肉体と運動をしていない肉体では全く見た目が違う、そんな違いとでも言おうか。圧縮試験機での実験では、鍛造品は鋳造品の5倍の圧力に耐えられたそうだ。この強度から、日々身に着ける物には最適と言えるかもしれない。ただ叩いて鍛えることから、どんなデザインにも適用出来る訳ではなく、比較的シンプルなデザインに留まる。更にリングのサイズ直しは出来ないので、不便と言えば不便である。それでもこのシンプルの極みに宿る強さに惹かれるのである。
秋篠宮夫妻は婚約の際、現代の名工と呼ばれる入倉 康という人物に依頼して、秋篠宮様の研究テーマであったナマズをモチーフにした白い地金の指輪を作った。石が付いていなければ比較的お求めやすい値段で作ることができる鍛造法のリング。ぜひ、この伝統的な匠の技を体験してもらいたい。