JRが海外旅行者むけに売ってきた「乗り放題レールパス」が、2017年の3月をもって、日本国籍の海外在住者には購入できないことになった。このレールパスをこれまで何度も使ってきた私は、3月前のギリギリに最後のレースパス購入をして、4月に一週間旅行をしてきた。体力の限界を感じる年齢。昔の様な精力的な旅とはいかなかったが、いつも通りの「格安旅行」を楽しんだ。東京の自宅を拠点に、京都、森岡、栃木県足利、飛騨を巡った7日間の旅を7週に渡ってレポートしたい。
2日目 京都
二日目。朝起きると外は雨。「埃っぽいよりいい」と負け惜しみを言いつつ、朝食をすませてから歩いて数分の西本願寺へ行く。誰もいない庭にたたずんで建物を鑑賞していると鐘の音がした。広い廊下の途中に立って若いお坊さんが突いている。「いい音だ」としばらく聴きほれてからホテルへ戻り、手荷物をもって駅へ。このホテルではチェックアウト後は荷をあずかってくれない、これも問題点のひとつだが、前もってそれを知ることは難しい。待つことなく来た5番のバスに駅前から乗り込み、最前の席に座りこむ。
あまり歩かないというのが今回の旅だから、バスの車窓からの観光を楽しもうというわけだ。雨はあがっている。
今日は左京区の北端にある詩仙堂へ行く。見覚えのある平安神社や南禅寺など、京都観光の名所近くを通ってバスは走る。車窓につぎつぎと流れる街の光景に見入っていると、1時間近くがあっという間にすぎた。「一乗寺下がる」という停留所で降りて、すぐ人に訊いて詩仙堂への道を歩きはじめる。
目的の場所へは10分足らずのはずだが、途中で感じのいいレストランを見かけた。「帰りにそこでお昼を食べることにして手荷をあずかってもらおう」と思い立つ。とっさの判断だったが、今日は京料理を食べようと思っていたし、荷物を預けられれば好都合。歩くには手ぶらが一番だ。
この詩仙堂は友人のカーさんのおすすめ。そして、大当たりだった。住宅街のなかのゆるい坂道をしばらく歩くが、まわりに観光客の姿はまったくない。行く先の路は何本にも分かれているが、道標があり迷うことはない。そのうえ、他のいくつかの道標が、詩仙堂以外にも、覗いてみたいような所を教えてくれる。少し時間の余裕をもたせておけば、思いがけない発見がある。これも京都ならではのことである。
詩仙堂は石川丈山という文人が造った庭と隠遁のための家だ。家康に仕えたことのあるこの人は33歳で引退して、学問をやり禅を学んだそうだ。なんと悠々自適な人生かとうらやましい限り。この人は造園にも関心があり、京都の山裾のこの土地に隠棲場所を得た。それが後に禅宗の寺となって今に至っている。
人ひとり通らぬ静かな道路の脇に小さな門があり、そこから古い石段が緩やかに登っている。両脇は竹林で、この導入部分がすでに完璧に計算された美しさだと感心する。むしろ庭そのものよりいいかもしれない。500円払って(毎月25日と27日は入園無料)、家の中から庭を見て、それから庭を散歩する。小さいながら第一級の庭であることはまちがいない。
詩仙堂の隣には、かの宮本武蔵が佐々木小次郎との決戦の途中で立ち寄り勝利を誓い祈った神社があった。庭の松が有名だそうで、たしかに見事だ。小高い場所にある境内からの眺めも抜群。その神社の先のゆるい坂をさらに上り、道端に畑の散見する個所まで行ってみる。そこはもう杉で有名な北山のふもとのようだった。京都に何か所かある上等な住宅地の一つのようで、少し歩けば商店があるにもかかわらずごく静かなのがいい。有名な修学院はこの先、また大原の里へもバスを乗り継げば行くことができる。
荷を預けたレストランに戻る途中で、道端に立っている人に道を確認しようと声をかける。土地の人とちょっとでも話をすることで、訪れた地の感覚がつかめるものだ。それも「いい旅」のための技術のひとつと私は思っている。
「もうそこまで、〇〇、さんが来はってます」、と相手は言う。そこに立っている三人はしばらく前から誰かを待っていたようだったが、その「〇〇さん」というのは天台宗の僧のことだとわかる。終日京都の町中を歩き、それを何日か続ける「千日回峰行」の修行の最中の僧で、数人の在野の人が後ろに従っていた。隣に立つ人たちにならってわたしも頭を下げていると、その僧は数珠を持った手でさわってくれた。ご利益があるらしい。
レストランでおこわのご飯、京風ぜんざいの白みそ仕立て、ゴマ豆腐、等々で早めのランチ。大いに満足の味だ。代金千円を払い、荷をうけとって大通りへ戻る。
5番のバスがすぐ来たので、それで京都駅へもどる。今夕には新幹線で東京へ戻るのだが、まだ3時だ。駅まえに高雄へ行くJRバスが停まっていて、すぐにも出るようだ。以前の私なら、間違いなくこれに乗り(交通費はゼロだし)、今度は京都の右半分を北の端まで行っただろう。雨がまた降り出したが、バスでの遊覧には差しさわりがない。だが、それをしていると東京へ着くのは6時過ぎる。体をいたわる意味で高雄は見合わせる。
実は、京都へ着いた時点では「美山の里」へ行く気でいた。京都府のほぼ真ん中に位置する「田舎」、茅葺の家が点在して桜もきれいだとの情報を得ていた。30分ほどJR北陸本線に乗ればいい場所なのだが、降りてからバスでさらに奥へ入る。日本中どこでもだが、田舎のバスは本数がとても少ない。「先方で一泊しないと美山の里はちょっと無理」との判明で今回はあきらめる。
詩仙堂を後にさらに北へ足を延ばし(バスを乗り換え)て大原の里へも行くべきだっただろう。行ったことはないのだし、京都のはずれの田園風景はとてもいい。途中には「女人の寺」といわれる寂光院もある。壇ノ浦で実の子供である安徳天皇をはじめ、同族の人々を亡くし失いながら、源氏に熊手で髪をひっかけられ一人だけ助かってしまった悲劇の女性が後世を送った寺。
だいぶ早めに東京へ帰る新幹線に乗ることになった。そんな風で、今回の京都旅行はちょっと低調、というか高齢者向き。成功だったとはいえないが、経費のかからない旅だった。
(田中 幸子)