「青山通り」
「赤坂」という地名の由来はよくわからないのだが、江戸時代には町屋や武家屋敷が、今の元赤坂を中心にしてあったとか。明治になるとその高台には軍人や官吏が居を構え、下の地域にはその他の住宅や商店、飲食店などがあった。昭和も中期を過ぎるころには銀座とならぶ高級繁華街だったが、料亭やナイトクラブ、キャバレーが多かった。ドルが高かった時代で、外国企業で働く人たちなどを客とする「コカコバーナ」とか「ミカド」という名の知れたキャバレーが繁盛した。周辺には米軍の住宅地もあったから、欧米の雰囲気が濃厚な地だったのだ。その後、永田町に近いこともあって、政治家たちが会食や接待をする場所となった。昨今の政治家は、高級料亭ではなく近辺にあるホテルを使うことが多いようだ。
六本木通りとほぼ並行して渋谷まで通じているのが青山通り(246号線)で、外堀通りと交差している。青山通りの道幅が広いのは、1960年の東京オリンピックのときに整備されたからである。この通りの先には競技場のある明治神宮外苑がある。
青山通りの北側の一帯は緑地帯で、都心とはいえ落ち着いた通りである。赤坂から西に向けて歩きはじめるとすぐの場所に、まわりの雰囲気とはまるで似合わない前近代的な建造物がある。真っ赤な木の鳥居がいくつもあるのがまず目に入るが、これが豊川稲荷である。似合わないとはいえ、神社が昔と変わらない姿でがんばっているのを目にするとほっとする。神社仏閣がまるでなかったら東京はどんな姿だろうか、とふと考える。そのかなりの数が移転させられているのだから。豊川稲荷の本山は名古屋に近い豊川にあるそうだが、仏教の曹洞宗とも関係のある神社で、神仏混合の一例だ。魔除けのお祓いも子宝をさずける祈祷もやってくれる。石の狐が二匹、赤いよだれかけをつけて低い石段の上の両側に座している。このきつねは神の使いだそうだ。狐は、神社仏閣の境内にも山野を走る道にも、街中の路地にもしばしば祀られているが、ときに女に化けて嫁し子供を産み、また嫁として農事を助けるといわれている。豊川稲荷の辺りは、もとは江戸の名奉行として知らぬ人のない大岡越前の守の屋敷内だったという。お城の外堀のすぐ脇になる場所である。
青山通りの北側には、見栄えのいい木々が手入れの行き届いた姿で並んでいる。それは外苑東通りまで続いていて、それがここを歩くのを楽しくしている。その木々の向は新宿御苑より少し大きめな敷地で、おそらく散歩にはもってこいの場所だろうが、中には入れない。赤坂御用地とよばれる皇室の所有地で、東宮御所と呼ばれる皇太子とその一家三人の住まいがある。この御用地の北東の角にある迎賓館へは、事前に申し込みさえすれば入ることができる。外国からの賓客を迎えてレセプションや晩餐会など政府の公式行事に使うが、紀尾井町に接してあるその正門はぎょっとするようなロココ調だ。入ったことはないが館のなかも同じ、日本が西欧の真似をして過度に至った例なのではないか。
たとえ外側から楽しむだけとしても、この青山通りぞいの緑地帯は都心に住む者にとってはありがたい。緑地帯の反対側の歩道も歩いて楽しい。カナダ大使館のポストモダンな建物や草月会館ビルなどが並び、公園もある。昭和の著名な政治家高橋是清の屋敷跡である。くわえて「日本伝統工芸」の看板をかかげた「青山スクエア」がある。全国からの多種多様な工芸品を集め販売しているギャラリー兼展覧会場で、お土産を探すのにはいい場所である。
ちなみに、青山通りと六本木通りの間を並行している赤坂通りは、青山通りとは正反対の趣きを持つ通りだ。特に、赤坂見附よりの通りは、都会の猥雑さの見本のようだ。しばらく前から韓国料理店も増えた。非常にごたごたしているが、大小取り混ぜてこんなにたくさん食べ物屋が集まっている場所は都内でもめずらしい。