「六本木」
明治神宮が今の形でそこにあるのはミラクルと言うべきかあるいは当然のことか、とよく考える。おそらく後者だろうが、日本人なら誰でもが訪れなければならない空間だろう。しかし、明治神宮を取り囲んで広がる空間はバブル経済前後に造り変えられた「新しい」東京、西欧的な顔を全面に出している。次の渋谷区の項で触れる明治神宮そのものとは対称的な世界だが、それを見るにはアークヒルズ、六本木ヒルズ、東京ミッドタウンと続けて開発された総合施設を見るのがいちばんいい。
都営大江戸線六本木駅近くに位置しているのが「東京ミッドタウン」。その名称に「ヒルズ」がないのは、これを開発したのが三井不動産で森グループではないからだ。複合施設としてオフィスビル、ホテル、「レジデンス」と呼ばれる高級アパート、美術館などがあるのはふたつのヒルズと同じだ。完成は2008年。地下5階地上54階と、都庁ビルを抜いて東京一の高さをもつ。防衛庁庁舎(そしてその前は米軍が使用していた)を他に移した跡に位置しているが、もっと以前には陸軍兵営舎があったところだ。
二つのヒルズに見られる、周囲から浮いているような落ち着きのなさは東京ミッドタウンにはない。緑地帯の割合が他を抜いること、ごくありきたりの芝生広場があることがその原因か。ガラスの天井を持つイベントスペースもすばらしいしが、オープンスペースにはWiFiやLAN ケーブルの備えがあると聞く。その周辺は比較的静かで、隣の檜町公園は区立で子供たちが遊んでいるのもいい。
注目を引くのはテナントとして入っている企業の数々だが、その一例はゲームソフトの最前線を行く会社「コナミ」がある。歴史の古いサントリー美術館も同ビルへ移転し、近くにある森美術館、国立新美術館とあわせて「六本木アート・トライアングル」をつくっている。
東京メトロ六本木駅から西麻布交差点方面へ歩いてすぐに位置するのが「六本木ヒルズ」。森ビルの開発した総合施設の一つ。展望台(有料)の他に、52階には森美術館があり、映画館、ホテル、「毛利庭園」もある。江戸時代にはここに毛利家の屋敷があったからで、この庭はなかなかいい。「森タワー」と称する200メートルを超す高さの高級アパート群もある。大物俳優やミュージシャン、ベンチャービジネスの若い起業家などの高所得者たちが住んでいるとか。
六本木ヒルズがある場所は昭和40年代までニッカウヰスキーウヰスキーの工場地だった。このあたりは、かつては日ヶ窪町という名称で呼ばれていた。金魚の養殖池が多く、500戸ほどの所帯もあった。ヒルズ開発はその住民の大反対を押してのことだったが、完成後しばらくはたいへんな話題で大勢の人が見物にきた。このヒルズには成金趣味が垣間見えるとわたしは思うのだが、スターバックス・コーヒーの店舗が4軒もあるというのも驚きだ。
そもそも六本木は軍事施設のあった場所で、二・二六事件を起こした歩兵第二連隊もここにあった。米軍に接収されていたことがあるが、その関係か外国人相手の店舗と飲食店が多かった。ゴーゴークラブやキャバレー、ディスコもあり、日本人芸能人やモデルなどが出入りしたという。そういう時代は過去のこと、バブルがはじけるとともに大部分が閉店し、「六本木族」という言葉も聞かれなくなった。
日本がまだ景気のよかったころのことだが、ここにたくさんあったバーやクラブで働こうとする「ガイジン」が少なくなかった。イギリス人の若い女性が殺害されるという事件があったが、彼女は旅行を続ける費用を稼ぎ出すためにクラブで働いていたという。金髪で青い目というだけで時給が日本人の3倍以上という時代だった。そういう「六本木」はデフレの長引くこの時代にはもうないようだ。
六本木ヒルズがある場所は昭和40年代までニッカウヰスキーウヰスキーの工場地だった。このあたりは、かつては日ヶ窪町という名称で呼ばれていた。金魚の養殖池が多く、500戸ほどの所帯もあった。ヒルズ開発はその住民の大反対を押してのことだったが、完成後しばらくはたいへんな話題で大勢の人が見物にきた。このヒルズには成金趣味が垣間見えるとわたしは思うのだが、スターバックス・コーヒーの店舗が4軒もあるというのも驚きだ。
そもそも六本木は軍事施設のあった場所で、二、二六事件を起こした歩兵第二連隊もここにあった。米軍に接収されていたことがあるが、その関係か外国人相手の店舗と飲食店が多かった。ゴーゴークラブやキャバレー、ディスコもあり、日本人芸能人やモデルなどが出入りしたという。そういう時代は過去のこと、バブルがはじけるとともに大部分が閉店し、「六本木族」という言葉も聞かれなくなった。
日本がまだ景気のよかったころのことだが、ここにたくさんあったバーやクラブで働こうとする「ガイジン」が少なくなかった。イギリス人の若い女性が殺害されるという事件があったが、彼女は旅行を続ける費用を稼ぎ出すためにクラブで働いていたという。金髪で青い目というだけで時給が日本人の3倍以上という時代だった。そういう「六本木」はデフレの長引くこの時代にはもうないようだ。
(田中 幸子)