「港区」
港区は、東京の北側で新宿区に接している。その名からもわかるように、東側は海に近いのが港区。そこは江戸時代には漁師たちが多く住んでいた。港区からさらに南へ進むと、やがて神奈川県に入り横浜へと至る。北から南へと走るJR京浜東北線路にほぼ並行してあるのが「第一京浜」という道路で、恒例の箱根マラソンのルートである。この道路は国道15号線の一部分で、旧東海道をほぼなぞっている。第一京浜の始まりは新橋のすぐ南からである。
「赤坂見附と虎ノ門」
港区は新宿周辺からはだいぶ距離があるものの、その探訪は赤坂見附から始めるのがいい。地下鉄の駅のある外堀通りへは永田町から来るとかなり急な坂を下りてことになるが、その通りはやがて桜田通りにつきあたる。桜田門を発して南へと延びる幹線道路である。
そこに地下鉄駅「虎ノ門」があるが、外堀通りをさらに5、6分、JRの線路を目指して歩くと新橋駅に至る。新橋といえばすぐ頭に浮かぶのは、日本ではじめて走った汽車の出発点だということ。蒸気で走ったから「陸蒸気」と呼ばれて走ったのが明治5年のこと。日本は近代化への歩みをはじめたばかりであった。10年後には、新橋と日本橋の間を鉄道馬車が走ったし、新橋は東京駅ができるまで(大正5年)首都東京の玄関だった。
さて地下鉄虎ノ門駅だが、駅のそばにたっている碑文によると江戸城の最南端の門がそこにあった。それを中心に桜田通りと六本木通りに挟まれたほぼ長方形の部分を「虎ノ門」とすることもあるが、まず目立つのが米国使館の巨大な箱のような近代建築。いつ見ても長いこん棒をもった警備員がその周辺に立っているのだが、9.11直後の大使館の門はしっかりと締まり、ビザ申請のためにせよ中東諸国の人間は日本人同伴でなければ入れなかったことを記憶している。つい最近通りかかると、やはりこん棒をもった警備員がいて大使館のすぐ脇を歩いてはいけないと注意された。辺りは静かでのどかな日であったのに。
「ホテルオークラ」
大使館わきの霊南坂と名の付く通りを数分歩くと、大使館の反対側にホテルオークラがある。歴代の米大統領が東京へ来るとこのホテルを使うということだが、数ある東京のホテルでも老舗の格式を持つし、位置的に便利だからだろう。米大使の官邸も近い。この近辺は江戸時代には広大な敷地をもっていた大名の屋敷で、それを明治政府が取り上げて明治の実業家たちに払い下げた。当時は、政府の高官たちも住んでいた。
土地を買い上げた実業家のひとりが、大倉喜七郎。大倉財団の二代目だが、父親の喜八郎が建てた帝国ホテルに負けないものをという意気込みで建てたのが、ホテルオークラである。日本の美と伝統を世界に知ってもらおうと自信満々の作品だとか。
本館はこの2年ほど改築のために休業しており2019年には再開するという。分館は営業中。静かな場所でありながら交通も便利な都心の一等地にたつこのホテルの落ち着いた雰囲気は申し分ない。
喜八郎のほうは、帝国ホテルのほかにも「大倉集古館」という日本で初めての私設美術館を建てている。1917年のことだが、ホテルと目と鼻の先の場所にある「集古館」の所有する美術品の数は膨大で、特に東洋美術愛好家にとっては気になる美術館である。これも2018年までは閉館中。
西側にアメリカ大使館が東側にホテルオークラのある嶺南坂通りにはもう一つ歴史的な建物がある。嶺南坂教会といい明治16年(1883)にできた組合(コングリゲーショナル)教会だが、当時はその赤レンガ建築が珍しく評判だった。
明治初期のキリスト教教会は、信仰もだが上流階級の若い男女に数少ない社交の場でもあった。辰野金吾の作品だが、1985年に改築された後もオリジナルな要素を存続させているという。
「六本木通り」
帝国ホテルやホテルオークラを建てたのは明治の財閥たちだが、おなじような役目を今の時代に引き受けているのが森ビルグループといえよう。ただこのグループがつくるのはホテルだけでなく高級集合住宅やオフィスなど、目的をひとつ限定するのではない総合的な施設である。それがアークヒルズや六本木ヒルズである。ミッドタウンも異業者による同種な開発である。
「アークヒルズ」は森ビルグループによる最初の大規模な総合施設だ。できあがったのは1986年だったが、この頃からだろうか日本人が建築物にやたらとカタカナを使うようになったのは。「ヒルズ」はこの後さらに二箇所にできるのだが、そのどれもがオフィスビルと高級アパートに加えて美術館、放送局、ホテルなどをもつ、つまり「総合施設」である。アークヒルズにはその他にクラッシク音楽専門の「サントリホール」があり、中央にカヤン広場というオープンスペースがありまわりは植木や花壇などの小さな緑地帯である。古くからの住宅地跡につくったから住民たちの猛反対にあったという。
ホテルオークラアのある辺りからアークヒルズへは坂を歩いて下りるなり、階段を使うことになる。近くに「谷町」(たとへば「谷町ジャンクション」)という名が残っていることから察してもここは低地なのである。小住宅が密集していたが、そのもっと前は貧民窟街だったという。今は、アークヒルズから目の前の六本木通りへは階段と長いエスカレーターで降りてくるが、そこは交通量が多く、かつ高架の国道3号線があって騒々しい。アークヒルズのできる前はこのあたりはオフィスビルと通りの両側をうめる小さな商店で埋まっていた。今も地図を見ると寺の印が多いのに、緑はきわめてすくない。
ある日、六本木通りを一本入った路地を歩いて思いがけないものを見つけた。それは古めいたごく小さな神社だが、谷町ジャンクションのすぐ近くにである。路地は歩いてみるものだ。久国神社というが、すぐ近くの高架の自動車路(412号)を車がひっきりなしに走っているにもかかわらず、そこはなんと心の休まる場所か。梅の木が5本あり、わずかの空き地には幼児向けのちっちゃな滑り台がある。ベンチには男と女がひとり別々に座っていた。大都会のこの避難所でのひとときをすごしているようだったが、そのうち中年の女性がやって来て「いつものように」という具合に参拝をしていそいで去っていった。
境内の久国神社のごくごく狭い境内の一方は切り立った崖で、その上には米国大使館の職員宿舎がある。神社の社殿は木造でかなり古そうだ。奇跡的に戦火をまぬがれたのかもしれない。スぺースがないからだろう、社殿に続いてある住居はなつかしい戦前の様式で壁は薄い木板。こういう建造物に出会うと救われた気がする。旅の途中であったとしても、神社や寺へは足をはこんでみることだ。