取材・文:室橋美佐
世界の三ツ星レストランでワインリストに並ぶ日本酒「MIZUBASHO – 水芭蕉」。ニューヨーク最高峰のフレンチレストラン「ダニエル」や、世界一予約が取れないレストランと呼ばれたスペインの「エル・ブジ」のソムリエからも信頼をおかれる味だ。そんな水芭蕉 ブランドを生み出した永井酒造社長が7月にシアトルを訪問し、「NAGAI STYLE(ナガイ・スタイル)」と呼ばれる日本酒と洋食コースのペアリングディナーを開催した。
日本酒をワインのステージに
永井酒造は群馬県利根郡の川場村という人口約3300人の小さな山里にある。利根川など5本の一級河川の源流が湧き出る山々に囲まれ、その清らかな水と自然に惚れ込んだ初代が1886年に川場村周辺の山を買って源流を確保し、酒造りを始めた。「村に吉祥寺という寺があって、そこに水芭蕉が咲いているんです」と、咲き誇る水芭蕉の写真を見せてくれた永井氏。標高が高くて水がきれいな場所にしか生息しない花だという。水芭蕉ブランドの由来だ。
川場村で生まれ育った永井氏は、大学時代には村を離れて建築を学んだ。イギリスの建築専門学校への留学も予定したが、直前に取りやめて家業を継ぐ決心をした。「そんな折に、ある人生の先輩が『酒造りの道に入るなら世界のワインを飲んでおけ』と言って、白ワインの王様と呼ばれているフランス産『モンラッシェ』を飲ませてくれたんです」と永井氏。当時はワインの知識は全くなかったが、その味にとにかく感動したと言う。その感動が永井氏の出発点になる。永井酒造の跡取りとして酒造りの修行を始めた永井氏は、一方でワインの知識も深めていった。
日本酒は、純米、本醸造、吟醸、大吟醸というように造り方や精米度でカテゴリーやランクが決められている。永井氏は、そういった規定カテゴリーで価格帯が決まってしまうことに違和感を感じていた。「ワイン業界を見るとカテゴリーによるランク分けはほとんどなく、ワイナリーのブランド力で金額が決まっていることに気づいたんです」と永井氏は話す。永井酒造もブランド力で世界へ勝負をかけたい。そして、日本酒より遥かに大きいワインの市場に入り込むにはどうすべきかを永井氏は自問自答した。「フレンチでも、イタリアンでも、高級レストランではソムリエが料理にペアリングしてワインを勧めてくるわけですが、日本酒にはそれがなかった」と永井氏。そこに目を付けた。世界の一流レストランでワインが料理に合わせて出されるそのスタイルに日本酒を乗せることで「日本酒をワインのステージに引き上げよう」という答えに行きついた。
現在、永井酒造は「MIZUBASHO – 水芭蕉」ブランドとして4タイプの商品をそろえる。乾杯酒としてアパタイザーに合わせるスパークリング酒「ピュア」、サラダやスープなど一品目に合わせる「純米大吟醸」、肉などのメインには熟成酒「リザーブ」、そして「デザートSAKE」だ。コース料理にあわせて、4タイプの日本酒を楽しむスタイルを「ナガイ・スタイル」と呼んで、和食店以外のレストランへも提案する。
感動の味を目指した5年間
海外統括ディレクターのコーレス松美さんは、「日本酒がワインの市場に入ろうとするとき、ワイン通が好むようなフルーティーさを出してワインの味に近づけることもできるんです」と説明する。しかし、永井氏が目指したのは全く違うものだった。水芭蕉ブランドのこだわりは、酒ならではの米の味を最大限に引き出してさまざまな料理に合うバリエーションを生み出すことだ。4タイプの日本酒は全て同じ米、麹、水を使い、米の精米度も同じ。製法も日本古来の米と水だけで作る純米製法。それでいて、全ての商品が全く異なる味、香り、色、食感を持つ。「ぶどうの種類で味のバラエティーを出すワインの世界からみると、これは本当に興味深い事なんです」と松美さん。
現在は社長として経営手腕を発揮する永井氏だが、そもそもは製造現場が専門だ。「月に1日は、スマホやPCから一切離れて酒蔵にこもり、全商品の味をチェックします。それが今でも一番大事な仕事です」という永井氏の品質へのこだわりが水芭蕉ブランドの根底にある。社長就任前は、最初のヒット商品になったスパークリング酒「ピュア」の開発に5年以上を費やした。ピュアは、炭酸ガスを加える一般的な発泡日本酒とは異なり、伝統的な純米製法にシャンパンと同じ瓶内二次発酵を取り入れた画期的な商品。発売までに700回以上の失敗と試行錯誤を繰り返したという。シャンパーニュ地方に1カ月間の研修滞在もした。ようやく発売されたピュアが、2009年にスペインの「エル・ブジ」で採用されると、水芭蕉ブランドは一気に世界へ広がることになった。「世界的な一流ソムリエが『これまでにない味だ』と感動してくれた、それで自信がついたんです」と永井氏。
ピュア発売の翌年には、「リザーブ」など4タイプの水芭蕉ブランドを完成させた。「リザーブ」は、マイナス2度のセラーで10年以上寝かせた熟成酒。赤ワインに相当する深みで、赤身肉の西洋料理へのペアリングも意識して開発された。
トップセールスで日本の酒文化を世界へ
「デザインにしても味にしても水芭蕉ブランドは絶対にトップセールスでいけると思ったんです」と松美さん。長年にわたりワインの国際マーケティングに携わってきた彼女の人脈とノウハウが永井酒造を後押しする。「1年半前にウッディンビルの名店『ザ・ハーブファーム』のオーナーにお願いをして、チーフシェフとソムリエを集めて水芭蕉ブランドを利いていただいたんです」。最初は皆が静まりかえって緊張感が漂ったという。「ワインに精通する人たちが、初めて体験する日本酒の味を消化していた」時間だった。沈黙の後、素晴らしいコメントが返ってきた。「ここで認められたら、いける」と思った松美さんは、それから永井氏を連れてニューヨークの「ダニエル」やナパ・バレーの「フレンチ・ランドリー」と、全米の三ツ星レストランをまわる。ダニエルでは「ピュア」が、フレンチランドリーでは全4銘柄が採用された。
世界的なブランドを意識する永井氏だが、「海外出張でどんな場所へ行っても常に片足は川場村に置いているつもりです」と話す。「グローバルで、なおかつローカルというのを目指しているんです」。永井酒造は、改築した旧酒蔵で「蔵カフェ」というカフェレストランを直営している。酒と地元の食材を活かした料理のほか、近くのケーキ屋とのコラボレーションで作る酒粕ケーキや、仕込み水をつかった水出しコーヒーも人気だ。「川場村は、美しい自然と美味しい食材に恵まれていて、素晴らしい旅館も数々ある」と話す永井氏は、地域の酒蔵や地ビール工房などと連携して「利根沼田酒蔵ツーリズム」という酒蔵巡りで地元に観光客を呼び寄せようという取り組みも行っている。松美さんが企画するナパ・バレーでのワイナリーツアーからアイディアを得たものだ。「川場村発の日本酒が世界に認められることで地元に人を呼び込んで活性化できれば」と永井氏。
「信頼や品質というのは大原則で、その上でいかに感動を与え続けられるか」がブランディングだと永井氏は考える。130年にわたり地元で愛され続けてきた老舗の味は、これからさらに世界の注目を集めそうだ。