本紙主催のブックイベント『ノーノー・ボーイ』が11日に開かれた。悪天候のなか、興味を持った参加者に集まってもらった。
英語の本書は今年で発行60年目を迎える。何度となく再印刷され、15万部のロングセラーとなっている。日本語版も同様に息長く読まれるようになってもらいたい。
イベントの記事は本紙2面で紹介している。参加者の中には『ノーノー・ボーイ』研究の第一人者といえるフランク・アベ氏もいた。イベント後、川井氏と3人でのノーノー・ボーイ歓談は、筆者にとって何より「充実のひと時」だった。
昼食を取るべく、当地で最も歴史ある中華レストランの大同飯店(タイタン)へ向かう。『ノーノー・ボーイ』作者の故ジョン・オカダ氏の家族が食べに来ただろう雰囲気を残した店だ。オカダ氏はそこで、小説のモデルとなる徴兵拒否者の故ジム・アクツ氏と席を一緒にしたかもしれない。
食事後、アベ氏に「ノーノー・ボーイツアー」をしてもらった。関連ノンフィクションの執筆を計画中で、2年にわたる調査の末、様々な地理的事実が分かったという。実際に紹介するのは初めてで、1つ1つの話からその興奮が伝わってきた。
小説はインターナショナル・ディストリクトの地理を忠実に表している。主人公のイチロー・ヤマダがバスから降りたのはメインと2番のパイオニアスクエア。そこから家族が営む商店までは、約8区画。彼の一歩一歩を踏みしめる。店のモデルとなっただろう商店は、現在ウイングルーク博物館で保存されている。小説に登場する日系映画館、クラブの場所や路地裏。小説の最後となった悲劇的事故の現場とされる道路。小説の世界がよみがえったようだった。『ノーノー・ボーイ』はこのインターナショナル・ディストリクトで生き続けている。
オカダ氏が育ち、大戦後に住んだアパート。アクツ一家との交流の場。強制退去の日の集合場所、そしてオカダ氏の父親をはじめ一世を抑留した移民局――。わずか数区画。この名作がなぜ、どのように生まれたのか、改めてこの地の意義を実感できた。
(佐々木 志峰)