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セコ・ガーデン存続の危機 日系の歴史を残す私有日本庭園を救えるか

ベルビューのレイクヒルズ・グリーンベルト・パーク東側に位置するファントム湖の畔に、「セコ・ガーデン」と呼ばれる日本庭園がある。ジョアン・セコ夫人と、数年前に亡くなったロイ・セコ氏の邸宅内にある2.5エーカーの私有の庭園だ。同邸宅が来年春にも売却予定であり、その売却によって「セコ・ガーデン」が失われることを危惧する造園技師の小林竑一(こばやし こういち)氏が庭園の存続可能性を探って活動を始めている。

「数か月前なんですよ。このセコ・ガーデンのことを知ったのは。第二次大戦中日系収容所だったマンザナーの公園を調べていて日系人が書いた日本庭園の論文に、瀬古さんの庭の話が短く出ていたんです。すぐ奥さんのジョアンさんに連絡すると、売りに出すと言うので驚きました」と、同紙の取材に対して小林氏は伝えた。小林氏は、ワシントンパーク植物園内でワシントン大学が運営するシアトル日本庭園改修プロジェクトの監修経験を持ち、また戦前に日系一世のフジタロウ・クボタ氏が造ったクボタ・ガーデンが存続の危機に陥った際にも公共公園として残すために全力を尽くした人物。「素晴らしい可能性があるこの庭を、なんとか、日系の歴史としてここに残したいんです」と語る。

セコ・ガーデンは、前ブッシュ・ガーデン・レストラン経営者、ロイ・セコ氏の父親であるカイチ・セコ氏が1950年代に自身の邸宅内に造りあげたもの。「クボタ氏もセコ氏と同時期(第二次世界大戦中)にミニドカ強制収容所に収容されており、瀬古氏の造園はクボタ・ガーデンからの影響をうけているはず」と小林氏は考えている。また、「セコ・ガーデン造園には、当時シアトル日本庭園設計チームに加わっていたリチャード・ヤマザキ氏も手を貸していた」と話す。シアトル日本庭園もクボタ・ガーデンも、そしてセコ・ガーデンも、日系移民が強制収容という厳しい経験の後、再びシアトルの地に根を下ろそうという頃に造営されている。カイチ・セコ氏は強制収容から解放されるとシアトルへ戻り、後に和食レストランとして大成功を収めたブッシュ・ガーデンをインターナショナル・ディストリクトに開業した。レストラン経営が軌道にのるとファントム湖周辺に土地を購入し、セコ・ガーデンを創りあげたのだった。「当時の日系移民の賢明な再起を称える美しい庭園が失われるのは非常に残念なことだ」と小林氏。

小林氏は、セコ・ガーデンを救う方法は二つあると考えている。一つは、他の公共公園へ移動する方法。もう一つは、誰かしらが庭園の存続を前提に瀬古夫婦の土地を購入する方法だ。後者の場合、購入後の庭園管理も含めて約1000万ドルの予算が必要になるという。小林氏は、庭園を残した数寄屋風の邸宅改築プランの考案のなども進めている。「以前、川井徳子さんという方が京都南禅寺の明治時代の庭を再生して、世界中のオークションに出したことがあるんです。現在はオラクル創設者ラリー・エリソン氏が別荘にしています。日本庭園に関して、眼があり、心のある富裕層の人が見つかればいいんですが」。しかし、どちらの方法も「見通しは全くついていない」とのこと。

「先ずは出来る限り多くの人にセコ・ガーデンの状況を知ってもらう事が大切」と小林氏。5月末にはFriends of Seko Garden を発足。ジャパン・フェアの前身でる秋祭りの創立者トム・ブルックス氏を始め、庭園愛好家やシアトル周辺の日系コミュニティーで活躍する人物を中心に既に10名ほどが名を連ねている。7月8日及び9日にベルビュー市街のメイデンバウアー・センターで開催されるジャパン・フェアにブースを出展し、詳細の説明を行う。フェイスブックでもページを設けて情報発信をしていく予定だ。(https://www.facebook.com/sekogarden/)。

(天海幹子 室橋美佐)

北米報知は、ワシントン州シアトルで英語及び日本語で地元シアトルの時事ニュースや日系コミュニティーの話題を発信する新聞。1902年に創刊した「北米時事 (North American Times)」を前身とし、第二次世界大戦後に強制収容から引き上げた日系アメリカ人によって「北米報知(North American Post)」として再刊された。現存する邦字新聞として北米最古の歴史を誇る。1950年以前の記事は、ワシントン大学と北米報知財団との共同プロジェクトからデジタル化され、デジタル・アーカイブとして閲覧が可能(https://content.lib.washington.edu/nikkeiweb/index.html)。