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戦士たちに捧ぐ歌 「静かな戦士たち」シリーズを終えて

2002年、二世復員軍人会の理事をしていたトーシ・オカモトさんが北米報知オフィスに現れ、残り少ない「二世ベッツ」の生の声の記事を依頼された。リストは40人ほど。話したがらない方、認知性をわずらってしまった方を抜かし、年長者から2時間に限定してインタビューを始めた。主旨は、アメリカでも一般にはあまり知られていない442部隊とMIS(米軍諜報部員)の事実を英語でインタビューし、日本語で日本の国、日本人に届けることと、彼らの言いたかったことをそのまま記録として残すこと。

「トーシ、次はあなたの番よ。いつがいい?」とオカモトさんに電話した時、意外なことを言われた。「みきこ、僕はまだ準備ができていないんだよ」。どんな準備が必要なのか問うと、「いや、あんたには悪い評判があってね」と言う。「つまり、あんたがインタビューをするとだね、みんな死んでいくんだよ」。その頃13人中4人亡くなってしまった。

インタビューした元兵士が亡くなってしまうのは、高齢というのもさることながら自分の一生または半生を振り返り、終止符のようなものを打ってしまうからなのだろうか。そして私はその機会を彼らに与えてしまったのだろう。こうして、私のインタビューはMISの3人の方を最後に、終わってしまった。

アメリカの国歌を聞くたびに、私の頭にはある光景が浮かぶ。実際には行ったことも見たこともないドイツ国境近くのフランスのヴォージュ山脈の戦場、10人の第442連隊の二世兵士たちにインタビューした話を基に、頭の中に勝手に作り上げた私の世界である。

夜明け前の、辺りが茜色に染まってくるころ、丘の上のたなびくアメリカの国旗に見入っている、二世兵士の顔、顔、顔。不思議と若い兵士ではなく、インタビューした当時のおじさんたち。

それまでアメリカの国歌は「戦争の勝利」を称える歌だと思っていたが、実は「勇敢な兵士たち」を称える歌だったのだ。彼らに会った後では「星条旗」の持つ意味がもう少し深く胸にこたえる。 「当たって砕けろ!」と団結した勇敢な二世兵士。そして私もそこにいて、そんなみんなを眺めて、口ずさんでいる。

(天海幹子)

東京都出身。2000年から2004年までジェネラルマネージャー兼編集長。北米報知100周年記念号発刊。「静かな戦士たち」、「太平洋(うみ)を渡って」などの連載を執筆。