最近ある記事を読んだ。聖徳太子の時代を含め、中国、朝鮮半島からの文化を取り入れて、新しく生まれ変わりを見せていたころの日本。仏教などもそうしたものだが、特に当時の街の中心にこうした文化をもたらした渡来人の姿が多く見られ、インターナショナルなコミュニティーがあったのではないかというものだった。
その中で生まれたものに17条憲法があるが、その1条目には「和」を重んじる内容が記されている。当時の状況を客観的に思い浮かべてみると、「和」の意味合いが興味深い。
そんな中、本紙、ソイソース、北米報知財団などが主催するブックイベント「Half HiddenWhole」が20日、インターナショナル・ディストリクトの和み茶室で開かた。
『横浜ヤンキー』著者のレズリー・ヘルムさんが150年にわたる自身のルーツを紹介。公演の最後では、異人種間での結婚やミックスドルーツについて語るなか、約100年前に違法だった白人と非白人間での結婚について説明した。
1914年の段階で米国41州で白人と非白人の結婚が違法だったという。昨年当地で公演されたブレンダ・ウォン・アオキさんによる『グンジロウ叔父さんの彼女』という語り劇も同様のテーマを取り上げたものだった。
この法律が変更されるのは第二次世界大戦を終えた1948年、占領下の日本で国際結婚を決断した米軍兵と5万人以上とされる日本人女性という社会的流れがあったからだった。ヘルムさんによると、最終的に連邦裁判所で判決が決定付けられたのが1967年、現状となってからまだ半世紀を見ていないことになる。
10年に一度の国勢調査で、様々な人種背景を人種の選択肢に選ぶことができるようになったのは今世紀に入ってから。米国では約7人に1人がミックスドルーツとされる、当地は全米でも最も多様性に富んだ社会とされる。
ヘルムさんによると、日本でのミックスドルーツの出生率は約30人に1人という。約20年前は150人に1人だったという。徐々に変わる社会を肯定的に捉えながら「まだ道のりは長い」とも話す。
個々が持つ背景へ敬意を表し、お互いを1人の人間として見ることのできる社会、コミュニティーの形成を期待したい。
(佐々木 志峰)