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シアトルの日系社会へ献身した日系移民一世~日本文化会館『三原源治展』

文:室橋 美佐

シアトル旧日本町に位置しているワシントン州日本文化会館(JCCCW)で『Genji Mihara: An Issei Pioneer(三原源治展)』の常設展が始まった。三原源治(みはら・げんじ)は、1907年に17歳で島根県からシアトルへ移住した日系一世で、第二次世界大戦前後の日系コミュニティーのリーダー的存在として知られる。強制収容から帰還するも家屋を奪われていた日系人へ、シアトル日本語学校校舎を臨時宿泊所として開放し、同宿泊所の管理を担った人物だ。なお、日本文化会館はシアトル日本語学校校舎を改築して2003 年に開館しており、館内には当時の宿泊所の様子を伝える展示「Unsettled/Resettled: Seattle’s Hunt Hotel」も常設されている。

今回の三原源治展では、源治が1890 年に島根出雲の故郷で生まれてから、1982 年にシアトルで92 年の生涯を終えるまでの記録が、親族から提供された手紙や写真、1970 年代に録音された本人の肉声などを元に掘り起こされている。日系コミュニティーの活況を背景にパイオニア・スクエアでオクシデンタル・カフェ(Occidental Cafe)」と呼ばれるレストランを経営していた戦前、一転して米国司法省の留置所で捕らえられていた戦時中、そして日本語学校校舎内にオフィスを置いて日系人のための臨時宿泊所を運営していた戦後、どこを切り取ってもシアトルの日系社会へ身を捧げた源治の姿が浮かび上がる。

5 月20 日の展示初日には、源治の孫や甥姪、その他の親族が招待された。全米各地から集まった親族は30 名以上。島根からも、源治の妹の孫にあたる三原洋治さんが訪れていた。源治の生家で生まれ育ったという洋治さんは、「まだ私が幼い3 歳ぐらいの頃に源治さんが出雲へ遊びに来た時のことを覚えています。たくさんの人が彼の話を聞くために家へ集まっていました」と話す。

後年は、妻の勝野に影響されて和歌を嗜んだ源治。日本の皇室に招かれた昭和33年(1958 年)歌会始での源治の和歌が残されている。

「八雲立つ出雲を出でて五十年レニアの雲に湧く吾れの胸」

三原源治展は入場無料。月曜日から金曜日までの午前10 時から午後5 時まで公開している。グループツアーの予約などの詳細は、日本文化会館まで((206) 568-7114)。( 一部敬称略)

北米報知社ゼネラル・マネジャー兼北米報知編集長。上智大学経済学部卒業後、ハイテク関連企業の国際マーケティング職を経て2005年からシアトル在住。2016年にワシントン大学都市計画修士を取得し、2017年から現職。シアトルの都市問題や日系・アジア系アメリカ人コミュニティーの話題を中心に執筆。