シアトルからはるか南。カリフォルニア州南端に位置するサンディエゴも日系移民の歴史は長い。街を象徴する大きな海軍基地を持ち、当地と同様に生活と軍の密接度は高い。港町で日本の姉妹都市は神戸に似た横浜。米西海岸の南北衛星として類似点も多いのではないだろうか。
過ごしやすく人気の高い街という点はシアトルと同じ。ただ当地とは天候は大違いで春の陽気に包まれた青空が広がる。街の生活は利便性を図った自転車シェアのビジネスが活況のようで筆者は大いに助かっている。
ダウンタウン北の上にあるバルボア公園は博物館、美術館、庭園などがあり、ここにあるサンディエゴ歴史センターには、日系人の歴史を伝えるJapanese American Historical Soceity of San Diegoによる日系史展示コーナーがある。定期的に展示内容は変わるようで、現在は第二次世界大戦中の収容所における学校生活の様子を紹介している。
サンディエゴの日系史も他の西海岸と変わらず、1880年代に鉄道工夫として多くの労働者が入り、その後農業に従事したり、町に出て商いをする関係者によってコミュニティーが作られていった。
日米開戦による強制退去ではロサンゼルス郊外のサンタアニタに一時送られ、その後アリゾナ州のポストン収容所に移ることになる。収容当初は設備も完備されず、生徒たちが手伝いながら学校を建て、不足する教員は学位を持った日系収容者が雇われたという。生徒数は約5千人、それに対する教員数はわずか112人だったとある。大きな展示ではないが、収容者の話、写真、そのほか資料が置かれ当時の様子が伝わってくる。
バルボア公園には1915年のパナマ・カリフォルニア博覧会で日本茶室庭園が作られた歴史がある。同庭園は閉鎖を余儀なくされたが、その後、日米、また姉妹都市の友好を象徴する日本庭園が建ち、現在も多くの訪問者で賑わいを見せていた。
丘を下った先にある港には日米戦争で命運を分けた海戦「ミッドウェー」の名を冠した空母が博物館として係留されている。ハワイへ最初に日系移民が渡って150年。様々な辛苦から今に至る幸せな友好関係まで線となって結ばる。そんな思いを抱きながら、自転車を駆り、港へ向け丘を下った。
(佐々木 志峰 4月5日執筆)