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「平和の家」上映会 フロイド・シュモー氏の功績を再び

シアトル出身の平和活動家、フロイド・シュモー氏(1895~2001)の人生を振り返るイベントが、1月12日にベルビュー・チルドレンズ・アカデミー(BCA)で、翌13日にワシントン大学ケーン・ホールで行なわれた。

同イベントはNHKワールドがワシントン大学の協力を得て主催したもので、昨年8月にNHKワールドプレミアムで放映された約50分のドキュメンタリー、「平和の家(House for Peace)」を上映。同作品はNHKの教育特集で放映された日本語版「シュモーさんを探して」(60分)と併せて制作された。上映後には制作に携わった髙井孝彰NHK国際放送局専任局長と同社の四本 純記者、NHKグローバルメディアの小越久美子ディレクターがパネル・ディスカッションを行った。広島でシュモー氏の活動にボランティアとして参加し、後に自らもシュモー氏のドキュメンタリーを制作したジーン・ウォーキンショー氏も加わった。

シュモー氏の「ハウス・フォー・ヒロシマ(広島に家を)」復興支援にボランティアとして参加したヨシ・ナカガワさん(左)とジーン・ウォーキンショーさん(右)

シュモー氏は、平和主義を信奉するクエーカー教徒で、森林生物学者としてワシントン大学に勤務。真珠湾攻撃後の排日運動の中で、日系人強制収容に反対して日系社会への支援活動を続けた。シュモー氏は原爆投下を「野蛮の極み」と非難し、「全てのアメリカ人がこの行為を肯定しているわけではない」ことを示そうと「ハウス・フォー・ヒロシマ(広島に家を)」復興支援運動を提唱。資金を募り、日本やアメリカから参加したボランティアと共に5年間にわたり21軒(うち1戸は集会場)の被災者住宅を、焼け野原の広島に建設した。その後も長崎、韓国、エジプトで同様の活動を行ったシュモー氏。強く戦争を憎み、平和に向けたその人生には歪みがなかった。

13日にワシントン大学で行われた上映会には、山田洋一郎シアトル総領事を始め、シュモー氏の家族や当時ボランティアとしてシュモー氏と共に活動した人々の子孫などを含む約400人が来場。上映中、シュモー氏がFBIから「Rabid pacifist(狂信的な平和主義者)」と呼ばれていたという場面では、当時を知る人たちから拍手が起こった。105歳で生涯を終えたことを初めて知った参加者からはため息が漏れ、ここシアトルでシュモー氏のその後の足跡を知る人たちは、今ではそう多くない様子がうかがえた。

取材インタビューに応えるベルビュー・チルドレンズ・アカデミーの清水揄華校長

94歳になったシュモー氏が自ら1990年に造った平和公園がワシントン大学の近くにある。そこには、原爆による白血病により12歳で死去した佐々木禎子氏をモデルにしたサダコ像が置かれている。上映前日に、BCAの子どもたちが折り鶴をサダコ像にかけた。国や肌の色を超えて絶対平和と人類愛を貫いたシュモー氏。「シュモー氏の行動は、まさに今の世の中に必要な教え」と話す、BCAの清水揄華校長の言葉には、筆者も共感を覚えた。戦争を知らない次の世代に平和の尊さを教えるためにも、同作品をこれからもより多くの人たちに見てもらいたいと切望する。

なお、同イベントの模様はNHKワールドで2月中に放送予定。NHKワールドは英語でニュースやドキュメンタリーなどの番組を衛星放送やケーブルテレビなどで24時間放映しており、アップルTV、アマゾンTV、ROKUなどでも視聴が可能だ。詳細はnhk.jp/worldにて。

(文・写真:横田亘生)

北米報知は、ワシントン州シアトルで英語及び日本語で地元シアトルの時事ニュースや日系コミュニティーの話題を発信する新聞。1902年に創刊した「北米時事 (North American Times)」を前身とし、第二次世界大戦後に強制収容から引き上げた日系アメリカ人によって「北米報知(North American Post)」として再刊された。現存する邦字新聞として北米最古の歴史を誇る。1950年以前の記事は、ワシントン大学と北米報知財団との共同プロジェクトからデジタル化され、デジタル・アーカイブとして閲覧が可能(https://content.lib.washington.edu/nikkeiweb/index.html)。