Home 日系移民の歴史 シアトルのアジア系アメリカ...

シアトルのアジア系アメリカ人の公民権運動について知る

日系アメリカ人の歴史に学ぶ
アメリカの人種問題と市民運動

「ブラック・ライブズ・マター(BLM)」のムーブメントが全米で広がる中、アメリカ社会にある制度的人種差別の撤廃を求める声が高まっている。日本人にとってはなじみの薄い人種差別の問題を長年にわたって経験し、そして乗り越えてきたのが日系アメリカ人コミュニティーだ。アメリカ社会ならではの人種や移民の問題について、日系アメリカ人の歴史と現在に続く活動から考える。

第1回 シアトルのアジア系アメリカ人の公民権運動について知る

アメリカで公民権運動と言えば、キング牧師の「I have a dream」演説など、黒人を中心とした活動が知られている。しかし西海岸の都市では、日系人を含むアジア系市民も、歴史の中で被ってきた制度的人種差別を終わらせようと活動してきた。ワシントン大学在学中に学生運動に参加したことをきっかけに、その後も多くのアジア系市民団体に関わるイレーン・イコマ・コーさんに話を聞いた。

取材・文:室橋美佐

知っておきたいキーワード
制度的人種差別 Systematic Racism
政治や社会の仕組みとして存在し、人種・民族的マイノリティーの経済的な成功や地位の向上を阻む差別。

ソーシャル・ジャスティス Social Justice
公正な社会を実現するという幅広い意味で使われる。具体的には、社会的弱者の人権保護、教育や雇用機会の均等、所得格差の是正などの取り組みを表すことが多い。

エンパワーメント Empowerment
社会的弱者に置かれるコミュニティーが、自ら立ち上がり、地位向上を目指す取り組み。

アドボカシー Advocacy
社会的弱者に置かれるコミュニティーが、一丸となって意見をまとめて大衆へ訴えたり、コミュニティー内部の人々に政治参加を啓蒙したりすることで、国や地域の政治へ声を届けようとする活動。

インターナショナル・ディストリクトとキングドーム建設反対運動

シアトルのアジア系公民権運動は、民族の垣根を越えてアジア系全体で一致団結して立ち上がった点でとてもユニークでした」と、イレーンさんは説明する。活動の舞台になったのは、インターナショナル・ディストリクト(ID)。日本町、中華街、マニラ・タウンと、戦前から入ってきたアジア系移民が混ざり合って形成された地区だ。「レストラン、小売店、安ホテルやアパートが集まる、民族的多様性に富む活気ある場所でした」。しかし、戦時中の日系人強制収容、I5建設による家屋や店舗の立ち退き、そして戦後の急速な都市の郊外化も重なり、近隣コミュニティーの崩壊が懸念され始めたのが1960年代だった。

キングドーム建設開始の祝賀イベントに乗り込んで、建設反対を訴える活動家たち (写真:Eugene Tagawa)

「キングドーム建設に、IDのコミュニティー保護を訴えるアジア系活動家たちは怒りを爆発させました」と、イレーンさん。シアトル初の大型アリーナとして、キングドームは現センチュリーリンク・フィールドの土地で1972年から建設が開始。隣接するIDの商店街や住宅地が、スポーツ観戦客向けの駐車場やハンバーガー・ショップなどに入れ替わることを危惧した若者らが、建設反対運動を組織した。抗議デモや郡議員への直訴などのロビー活動を重ね、行政との交渉を求めた。

I5建設の際にも反対運動はあったものの、シアトル社会全体へ訴えかけることはできずに終わっていた。このキングドーム建設反対運動は、公民権運動やベトナム反戦運動が高まった時代背景、そして若い世代が民族グループの垣根を越えて結束し、黒人やユダヤ人など他のマイノリティー・コミュニティーからのサポートも得ることで、シアトルの大手メディアが次々と取り上げるほどの大きな反対運動に発展した。

「現在のBLM運動のような雰囲気でした」と、イレーンさんは振り返る。イレーンさん自身、活動リーダーだったフィリピン系のボブ・サントス氏が組織した委員会の一員として、キングドーム建設決行の条件としての要求をまとめる取り組みに参加した。「当時は、IDに十分な公共のサービスや施設がありませんでした。アジア系コミュニティーが自らの手で医療施設や公共サービスを創設し、公的資金をそうした取り組みへ出資することを郡議会に対して要求したのです。ドーム建設の交換条件として、ほとんどが承認されることになりました」

制度的差別を乗り越えるコミュニティー・エンパワーメント

そもそもIDにアジア系移民が集まっていたのは、アジア人、黒人、ユダヤ人などのマイノリティーが、差別的な住宅売買の仕組みによって白人居住地域から締め出されていたためだ。アジア系が多く住むIDやビーコンヒル、そして黒人が多く住むセントラル・ディストリクトが、シアトルのマイノリティー居住区だった。アメリカ市民以外の土地所有を禁じる外国人土地法と、ヨーロッパ出身以外の移民の市民権取得を著しく制限した移民法が改正されるまで、アジア系移民は土地を所有することさえも許されていなかった。土地所有に関わる差別は、資産を築くことを阻むという点で、世代を重ねて経済格差を生む大きな制度的差別のひとつとされる。

米国住宅都市開発省と協議する活動家たち (写真:Eugene Tagawa)

マイノリティー居住区では、医療・警備・公立学校などの公共サービスへの投資が著しく低いという問題もあった。キングドーム建設反対運動を通してIDへの資金援助を引き出し、自らの手で公共サービスを組織していく活動は、マイノリティーが差別を乗り越えて社会的地位を向上させていく「エンパワーメント」の活動そのものだったと言える。「現在も活動が続くアジア系市民団体の多くは、公民権運動の取り組みから1970年代に誕生しました」と、イレーンさん。多言語で医療サービスを提供するインターナショナル・コミュニティー・ヘルス・サービス(ICHS)、低所得者向け賃貸住宅を所有して運営するインターリムCDA、ID内の不動産開発案件に対してコミュニティーによる審査を行うインターナショナル・スペシャル・レビュー(ISRD)、そしてアジアン・カウンセリング・アンド・リファーラル・サービス(ACRS)など、挙げれば切りがない。「アドボカシー」に取り組むワシントン州アジア太平洋問題委員会(CAPAA)のような組織も形成された。

「現在、差別撤廃と社会的正義を求める市民運動がBLMとして湧き上がっています。歴史的にも重要な時です」とイレーンさんは訴える。日系アメリカ人団体の多くはBLMに賛同を示している。日系アメリカ人にとって、再び沸き起こる人種差別撤廃を求める運動は、他人事ではない、自分たちの問題として認識されているのだろう。

イレーン・イコマ・コー■ 本誌の関連団体である北米報知財団の創立メンバー。日系3世で、祖父の生駒貞彦氏は、戦後に北米報知を再興させた人物。1970年代にインターリムCDAの立ち上げに関わり、事務局長も経験、現在もボード・メンバーを務める。

 

●ジャパンウィークでパネルディスカッション開催 

「ジャパンウィーク(日本祭り)」にて、今回の特集でインタビューに応えてもらったイレーン・イコマ・コーさんとスタンリー・シクマさんをパネラーとして招き、オンラインのパネルディスカッションを行います。
日時:9月29日(火)5pm~6:30pm
詳細:www.hokubeihochi.org/event


*編集注記:同記事は、姉妹紙「ソイソース」8月28日号にも掲載されています。本紙では、4回シリーズで第4金曜発行号に掲載していきます。次回は、日系アメリカ人市民同盟(JACL)について取り上げます。