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「寄せ書き」日章旗返還活動 幾多の奇跡、大戦の最終章は今 OBON SOCIETY

第二次世界大戦の「戦地土産」となった日章旗「寄せ書き日の丸」。ワシントン州とオレゴン州の境の小さなコミュニティーが、日本への 返還活動拠点となっている。「幾多の奇跡を起こしたい」――。非営 利団体オボン・ソサイエティー(OBON)を運営するレックス、敬子・ジーク夫妻の活動は日々広がりを見せている。

日本側の立場 寄せ書き展示で紹介

コロンビア川の河口にあたるオレゴン州アストリア。同地のコロンビア川海事博物館では、米国でもユニークな展示が行われている。

第二次世界大戦時の展示コーナーの一 角には、日本兵が所持、その後連合国軍兵士が「戦場からの土産」として持ち帰った日章旗の数々や関連品が展示されている。状況説明は英語と日本語がある。

展示にはOBONのジーク夫妻が携わった。2009年から続ける日章旗返還活動で「事務所」となる自宅に送られてきた数々の関連遺品の一部が展示されている。返還先が特定できていない、もしくは銃器など日本に送ることのできないものが主だ。

3月段階、展示日章旗の1つは返還先が見つかり、展示から外される見込みという。空いた場所には新たな日章旗が展示される。返還を希望し送られてきた日章旗の数は相当数に上り、自宅に保管されている。

「(返還は)まだ間に合います。遺族、退役軍人ともにまだ存命の今が最後の機会です」と敬子さんは話す。

活動のきっかけは2人の結婚だったという。敬子さんは祖父をビルマ戦線で亡くしているが、所持していた日章旗が長い年月を経て実家に戻ってきた。

日米戦争の歴史、 日章旗に隠されたストーリーと返還。「日章旗が家族にとっていかに大切だったか理解しました」とレックスさんは振り返る。「この奇跡を別の人々、数百、数千と起こしたかった。(日章旗は)ま だ多く米国に持ち帰られたままでしたから」

コロンビア川海事博物館の「日の丸寄せ書き」展示

奇跡起きた初の返還

活動を始めたが、 返還先や連絡先いった情報、戦争の歴史自体の知識も不足していたというレックス夫妻。一方でオンラインオーク ションなどで戦場遺留品が取り扱われていることは知っていた。

初めての日章旗は某ウェブサイトで見つけたものだった。オークションなど金目的の趣旨と異な り、持ち主は純粋に返還への助けを求めていた。

ベトナム戦争に従軍、戦場で見つけた敵兵が胸に潜ませていた家族写真を鮮明に記憶する退役軍人だったという。写真と遺体はそのまま戦場に放置し、長年、自らを責め続けていた。せめて親が戦場から持ち帰った日章旗は家族のもとへ戻したいとの希望だった。

活動を始めたばかりで手がかりのなかったレックス夫妻だったが、日本で偶然の機会に知り合った寺院関係者の協力を得、寄せ書きの内容から日章旗の持ち主が寺関係者だったことを突き突き止める。さまざまな偶然から日章旗は遺族のもとへ届けられた。

当時から5年以上が経ち、ネットワー クも広がった。依頼に対し、資料保存、 カタログ化、日章旗の情報、日本への連絡手段など、「何をすべきかすべて理解しています」。返還希望者と英語でレッ クスさんが、日本側とのコミュニケー ションは敬子さんが日本語で行うなど、 役割も決まっている。

「手元に何も残されていない遺族たちに、少しでも『終戦』 の思いを届けることができれば」とレックスさんは語る。

OBONの活動はオレゴン歴史協会やオレゴン日系レガシーセンターでの展示会など広がりをみ せる。4月には初めての移動展を企画した。今後、シアトルでの展示も希望。活動の意味、意義を知らせたいとの思いが ある。

口コミにより依頼は大幅に増えた。「朝起きてから夜寝るまでの活動はすべてOBON。食事の時間は理事会の会合のような感じです」とレックスさんは苦笑する。寄付が集まり次第、事務所を開設し、人員を増やし活 動を強化する意向も見せる。

人生最終章、今こそ

昨年、第二次世界大戦終戦 70 周年を受けて、日本政府から活動を讃えられ、外務大臣表彰を受賞した。

今年は真珠湾攻撃の日米開戦から75 周年となり、戦争関連周年の節目が続く。 レックス夫妻も「まだ終わっていない」と語る。

「今が最終章です。 彼らの人生、そして大戦の歴史の最終章です。 75年も敵同士でいることはできません。真の友人関係になるときです」と敬子さんは語る。

OBONに関して詳細は http://obonsociety.org まで。

(記事・写真=佐々木 志峰)

佐々木志峰
オレゴン大学でジャーナリズムを学んだ後、2005年に北米報知入社。2010年から2017年にかけて北米報知編集長を務める。現在も北米報知へ「一石」執筆を続ける。