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楠活也師 シアトル別院仏教会に新赴任

シアトル別院仏教会に、楠(くすのき)活也(かつや)師が今年4月から新赴任した。5月に歓迎会が行われ、現在では日本語セミナーや法要に勤められている。

はじめまして
今年の4月1日付でシアトル別院仏教会に赴任いたしました楠活也です。これからこのシアトルで“世の中安穏なれ、仏法ひろまれ”を宗として布教伝道に努めてまいります。地域社会の行事にもできるかぎり参加させていただきたいと思っております。どうぞ宜しくお願い致します。
私は、長崎県長崎市の出身で、今年の8月で40歳になります。光源寺というお寺の次男として生まれました。地元の高校を卒業後、宮崎大学の教育学部へ進学しました。大学4回生の時に、大学を休学して、青年海外協力隊へ参加し、アフリカのジンバブエで野球コーチとして2年4ヶ月活動しました。ジンバブエでは、野球を全く知らない子供からナショナルチームの選手まで毎日毎日野球の指導に当たりました。見知らぬ土地での活動、様々な人との出会い、私にとってその経験は大きな宝物となりました。日本へ帰国後、大学を卒業し、小学校の先生を3年間勤めました。その後、京都へ行って仏教、浄土真宗の勉強をし、2010年に開教使として、カリフォルニア州のローダイ仏教会へ赴任しました。
私が子供の頃一番なりたくなかったのがお坊さんです。出来るだけお寺から離れたいという一心で、大学も地元以外の大学を選び、さらに、アフリカまで行きました。ジンバブエから帰国後、もう一度海外へ行きたいという思いを抱いていると、それを知った父が「アメリカにもお寺があるけん、行ってみんね」と一言。その一言に乗せられて仏教を学び始め、開教使として今ここにいます。お坊さんにはなりたくない、お寺から離れたいと思っていた私が、巡り巡って、お坊さんとして今ここにいます。私の場合、ジンバブエへ行ったという経験が、一つのご縁となって、仏道へ導いてくれました。つくづく縁というのは、本当に不思議なものだなと思います。
“来し方も また行く方も今日の日も 我は知らねど み運びのまま”
父の師匠、藤原正遠先生の一句です。私は、たくさんのご縁に導かれて今ここに生かさせていただいています。その一つ一つのご縁に感謝し、これからの新しい出会いを楽しみにしながら、このシアトル別院での伝道活動に励んでいきます。どうぞ、お気軽にお声掛けください。合掌

北米報知は、ワシントン州シアトルで英語及び日本語で地元シアトルの時事ニュースや日系コミュニティーの話題を発信する新聞。1902年に創刊した「北米時事 (North American Times)」を前身とし、第二次世界大戦後に強制収容から引き上げた日系アメリカ人によって「北米報知(North American Post)」として再刊された。現存する邦字新聞として北米最古の歴史を誇る。1950年以前の記事は、ワシントン大学と北米報知財団との共同プロジェクトからデジタル化され、デジタル・アーカイブとして閲覧が可能(https://content.lib.washington.edu/nikkeiweb/index.html)。