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東日本大震災被災地復興を願って ~ ソング・オブ・ホープに聞く「コミュニティーと広げた活動の輪」

2011年3月11日に起きた東日本大震災から間もなく6年が経つ。有志グループのソング・オブ・ホープ(SOH)は、震災直後から被災地支援コンサートを当地で続け、昨年に活動の集大成として、子供、大人が約250人が出演するコミュニティーメモリアル公演を実現した。SOHの活動の成果として広がったコミュニティーの輪は、今月11日に開かれる合唱祭へとつながっている。同イベントを前に、昨年の公演後に行われたSOHの田形ふみさんへのインタビューを本紙で紹介する。

――コンサートを始めたきっかけについて教えてください。

(田形)「2011年3月12日、日本から届いた想像を絶する震災の映像を見て、すぐに岩手県花巻市に住む音大時代の友人家族の安否が気になりました。すぐに電話をかけましたがつながりず、もちろんメールに返信もなく、次々に届く映像と何度かけてもつながらない電話に、不安と苛立ちだけが募って行く時間を過ごした3日後、ごく自然にごく単純に、自分に出来る事は演奏しかない、そうだ、仲間と一緒に支援コンサートをやろうと、行き場のない思いをシフトしました。
まず最初に声をかけたのは親友ピアニストの亜季子さん、即答でOKでした。そこから他の演奏者探し、会場探しが始まり、そうこうしているうちにもう1人のピアニスト、米国人のリサ・マリアに引き合わされました。 結局それぞれのネットワークから素晴らしい演奏家を招くことができ、私たち3人といじりさん(現JIA Foundation代表)の4人で、Songs of Hope(SOH)第一回支援コンサートを震災50日後に開催しました」

――この5年間にどのように発展、進化しましたか?

「少なくとも5年間は支援コンサートシリーズを続けようと、3人で決めていましたが、コンサート内容に関するアイデアは具体的に決めてませんでした。
はじめの2回は、プロの演奏家によるプログラムでしたが、震災1周年コンサートを企画し始めた時に、一般の人も参加できる合唱をやろうと、大きな転機がありました。それがコミュニティクワイア「Chorus of Hope」(COH)です。指揮者にマリンバ奏者めみさんを迎えて、120人を超える大合唱が実現しました。
合唱を始めると、俄然ネットワークが広がりました。そのうちに、他の震災支援をしている団体と協賛したり、日本人や日系人コミュニティのイベントで演奏したり、親子を対象にしたファミリーコンサートを企画して、震災のことを知ってもらう層を増やしていきました」

――昨年に合唱した『群青』の歌の話を教えてください。

「海外に住む私たちは全く知りませんでしたが、2013年にブレイクしてから全国各地で歌われる合唱曲に育っていた『群青』は、24時間テレビにも取り上げられ、当時の小高中学校の合唱部員はTVでも演奏したそうです。そのおかげで、『群青』にまつわるエピソードや、作曲者である小田美樹先生のことをいろいろ知ることができました。
音楽が、歌が、傷ついた心を癒す、というのはよく聞く話ですが、本人たちの口から実際に歌が出てくるまでに、どれほどの葛藤と苦しみを通り抜けなければならなかったかを考えさせられました。間借りした校舎で授業を再開した小高中学校の生徒たちには表情はなく、ましてや歌声など出てくるはずもないつらい期間があったとのことです。100余名いた同学年の友人たちが、被災後7人しか残らなかったことからも想像ができます。
『群青』は、離れ離れになった友達を思う気持ちと、故郷での楽しかった日々、そしていつか小高の町での再会を夢見る希望が、生徒たちから発せられた一つ一つの言葉を紡いで作られました。卒業式の式歌で終わるはずだったこの曲が、日本全国、そして海外へと発信される意義はとても大きいと思いますし、これからも歌い続けていきたい一曲です」

――公演はどうでしたか?

「周年コンサートは今回がファイナルでしたので、テーマも「Songs of Hope」とし、Hopeそのものである子ども達と共演できることに、実行委員一同、とてもワクワクしました。
また、COHへの参加者も1周年を上回る反響があり、中でもご家族全員で参加してくださったみなさんを拝見するのはとても感慨深かったです。
結果、約120名の子ども達による「Children’s Choir」と約130名参加のCOH、700名の来場者というビッグイベントになりました。
開場30分前に停電に見舞われるという悪条件の中、5年前の被災地のことを思い出し、かえって出演者、観客ともに一体となれたと思っています」

――活動を振り返ってみて。

「SOHは、個人の「思い」から生まれましたが、その思いに次々と繋がってくださる人たちが現れ、自然にグループが大きくなっていきました。現在では、音楽家に加え、スペシャリティを持つ8人のコミッティメンバーが、より幅広いイベントの実現を可能にしてくれています。
また、合唱を通して歌声の輪が、ベイクセールを通してベイカーさんの輪が大きく広がりました。そうした広がりの中で、さらに気の合う仲間同士、同じ興味を持つ者同士が、小さなグループをも作っていくようにもなりました。 新しい繋がりと出会いが、既存のコミュニティをより活性化し、結びつきを強くしていくのを目の当たりにし、この度のイベントのタグライン「震災があったからこそ」を、しみじみ感じています」

――5年という活動期間について。

「5年間を目標に活動してきた私たちですが、もちろん支援自体が5年で終わったわけではありません。周年イベントの開催を一旦終わらせるということです。ミュージシャングループとしてのSOHの活動は続きますし、よりコミニュティに密着した形で活動していきたいと思っています。
震災後の様々なイベントに、コミュニティから多くの皆さんが関わってくださり、生まれた出会いによってSOHは大きくなっていきました。言い換えれば、SOHはコミュニティに育てていただいたのです。そして、支援をさせていただいた私たちが、被災地の皆さんの頑張りに、その生き様に、学びと気づきをいただいたということなのです。それは支援する側にいる私たちがいただいた大きなギフトでした。
支援をすることは、ただ物やお金、労働力を提供することだけではありません。より良く生きるために私たち自身の学びがあり、より強く支え合うために、私たち自身が暮らすコミュニティを豊かにしていくこともまた、間接的ではありますが、支援の一端だと思っています。
この考えにたどり着くまでに、5年かかりました。この難しい時代に生きる者同士、手を取り合うことが求められているのではないかと。
SOHは、震災支援活動の「一旗振り役」として、震災周年イベントを提供してきましたが、5年経った今、自分たちの周りに「震災があったからこそ」生まれたネットワークを活かし、私たちそれぞれが小さなアクションを起こしていく時期にさしかかったと思います。コミュニティに育てていただいたものを、コミュニティにお返しし、より良くより豊かに共感しながら生きていけるように」

――活動を通して伝えたいこと。

「震災をきっかけに、それまで思いもよらなかった繋がりと出会いがたくさん生まれました。SOHの5年間からは、ベイクグループ「なでしこベーカリー」、福島原発事故を学ぶ会「シアトルからこそ」、そして今年3月11日に初開催される「シアトル合唱祭」が、それぞれの活動を展開しています。
これからも繋がり続けましょう。そして普段の時も、緊急時にも、様々な形で連携できる緩やかなネットワークを育ててまいりましょう。皆さんそれぞれが好きなこと、興味のあること、得意なこと、どんな形でもいいのです。
友人がいて仲間がいて、迎えてもらえる場所があることは、特に海外に住む私たちには必要ですよね。私たちがつながれば繋がる程、他のコミュニティをサポートする力も生まれます。そしてコミュニティ同士もまた繋がるのです。世界は、そうやって豊かになっていくんだと、子ども達に伝えたい。
SOHはその役割を音楽を通して担っていきたいと思っています。
これまでの皆さんからの温かい応援に感謝し、これからの出会いに心からワクワクして」

――ありがとうございました。

(天海 幹子)

北米報知は、ワシントン州シアトルで英語及び日本語で地元シアトルの時事ニュースや日系コミュニティーの話題を発信する新聞。1902年に創刊した「北米時事 (North American Times)」を前身とし、第二次世界大戦後に強制収容から引き上げた日系アメリカ人によって「北米報知(North American Post)」として再刊された。現存する邦字新聞として北米最古の歴史を誇る。1950年以前の記事は、ワシントン大学と北米報知財団との共同プロジェクトからデジタル化され、デジタル・アーカイブとして閲覧が可能(https://content.lib.washington.edu/nikkeiweb/index.html)。