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クイーンアン・ヒルで初期日系移民の無縁仏供養会

クイーンアン・ヒルのプリーサント墓地にて7月13日、日系人無縁仏を供養する法要が行われ、地元団体のクイーンアン・ヒストリカル・ソサイエティーのメンバーを含む約15名が参列した。この墓地に眠る無縁仏は、1900年前後の日系1世のもので、うち一部は1910年に起きた雪崩事故で亡くなった人々の共同墓地だ。そのほかは、どのような経緯から同墓地に葬られていたのかはわかっていない。

今回の供養会は、造園家の小林竑一さんによって主催され、2017年12月以来2回目。近隣に住む小林さんは散策中、日本人名の共同墓石を発見したことから調査を開始。それらが世話する家族のいない無縁仏であることが判明し、2017年、カリフォルニア州から真言宗僧侶ふたりを招き、法要を行った。この墓地の日系人無縁仏を供養する法要はそれまでにもシアトル別院仏教会により毎年行われてきたが、参列者はおらず、ひっそりしたものだった。このことを知った小林さんが、シアトル別院仏教会による法要に合わせ今回の供養会を企画・告知し、参列者を募った。

クイーンアンに40年近く住む小林さんも日本からの移民1世。日本を離れてこの地に長く暮らす自身の人生と、100年以上も昔に亡くなった初期移民と思われる日系人の無縁仏が自宅すぐ近くの墓地に眠っていることに縁を感じていると言う。

「いろいろ調べてみてはいるものの、この墓地に眠る日系人についての資料がほとんどないんです」と小林さん。小林さんによれば、1910年3月、カスケード山脈のウェリントンで、レブンワースからシアトルへ向かうグレート・ノーザン鉄道列車が豪雪のために停車中、雪崩にのまれ96名が亡くなった。同共同墓地に葬られているのはこの事故で亡くなった22名の日系人で、事故から20年後の1930年に、当時の北米日本人商工所により墓石が建立されたことがわかっている。現在のところプリーサント墓地にはこの共同墓石のほかに日本人名の墓が9基あり、古いものでは没年が1884年となっている。彼らがどのような経緯で日本からアメリカに渡ったかは不明。

今回の法要を執り行ったシアトル別院仏教会僧侶の楠 活也さんによると、共同墓石に刻まれている「倶会一処(くえいっしょ)」とは、浄土真宗の阿弥陀経にある言葉で、「この場所でまた会いましょう」という意味だとか。この墓地に眠る日系人の無縁仏は、血のつながった家族こそいないものの、小林さんを含め、この場所に供養に訪れる人たちとの時を超えた縁によって見守られている。

(坂元小夜)

 

横浜生まれ東京育ち。大学院進学のため2015年よりシアトル在住。日本のポピュラーカルチャー、特に1960-70年代の音楽について研究。歌謡曲と任侠映画をこよなく愛する。週末はアンティークショップ巡りや、ワシントン州の豊かな自然を探索しに出かけるのが楽しみ。