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ベルビュー・ワールド太鼓フェスティバル 10月6日、7日にベルビュー・カレッジで開催

取材・文:天海幹子

10月6日、7日の2日間、ベルビュー・カレッジのカールソンシアターにて、ジャパン・クリエイティブアーツと太鼓の学校主催のベルビュー・ワールド太鼓フェスティバルが開催される。今回で3回目を迎える同イベントでは、日本各地で昔から伝わる民族芸能としての太鼓と、そこからアレンジしたコンテンポラリーな太鼓演奏の融合が実現。世界で活躍する和太鼓奏者のケニー遠藤氏、パーカッショニストのイアン・ドブソン氏らを迎えて、華やかで力強い演奏が期待される。

ロサンゼルス市出身日系2世のケニー遠藤氏は、UCLA在学中に和太鼓のとりことなった。1980年代に10年間日本で邦楽囃子、組太鼓などの修業を終え、外国籍では初の邦楽囃子の名取となった人物。洋楽、民族音楽と日本の伝統音楽の経験を生かし、革新的でクリエイティブなアプローチで伝統的な和太鼓に臨む。

フェスティバルをプロデュースする太鼓の学校のディレクター、立石鈴太郎さんに見どころと和太鼓について聞いた。

立石さんは鬼太鼓座(おんでこざ)出身ですね。その頃の思い出は?

佐渡ヶ島出身の太鼓グループ「鬼太鼓座」は、1975年にボストンでデビューして、それを日本に逆輸入しました。創立者の田耕(でん・たがやす)師匠は「走楽論」の理念を持っていて、1990年から3年かかって全米マラソンツアーをしたんです。(14,910キロメートルを)本当に走るんです。1人が機材などをトラックで運んで5キロ地点で待ち、一番早く着いた人が今度はその運転手を乗せて戻り、彼も走ります。交代で10人全員が走りました。体を鍛えることもですが、大切なのはミュージックと体の内側にあるスピリットとの関係。テクニックは後からつけるもの、走ることと音楽は一体である、と。

なぜ鬼太鼓座は日本で認められる前にボストンで大成功を得たのでしょう?

日本には伝統的な太鼓(歌舞伎の鼓など)や、民俗芸能として受け継がれている太鼓がありますが、田さんは組太鼓(複数で演奏)に踊りのパフォーマンスを加えてアートフォームにしちゃったわけです。それはアメリカで大成功ですが、日本では「伝統と違うんじゃないの」とあまり受けなかったですね。それと今まで太鼓は祭りの時などハッピで演奏されていたんですが、田さんはふんどし姿で太鼓をたたいたんです。それがひんしゅくを買うというか。あれは実はフランスで演奏した時に、ピエール・カルダンのアイディアだったんです。

その鬼太鼓座を出て、今に至る経緯は?

鬼太鼓座には10年いましたがやめて、2000年に沖縄に行きました。自分の中で一つの区切りというか、次のものを見付けるために。それから海外を拠点に太鼓を広めたいと考え、アメリカ1周の時のコネクションでフロリダに行き、ディズニーワールドで7年間太鼓の指導と演奏をしました。その後マラソンの時に一番お世話になり印象の深かったシアトルに、2009年に移ってきました。気軽に太鼓を楽しめる場として、太鼓の学校を始めました。

今回のパフォーマンスの見どころは?

民俗芸能はテクニックとかそういうものでなくて、内側から出てくるもの、感覚的に共通しているものがありますね。和太鼓だけでなく、西洋のドラムやパーカッションも同じです。その、国境を超えた打楽器を通しての融合を目指しています。特に佐渡ヶ島、八丈島、三宅島など島で伝わるものには、流人の望郷の思いや、島からのエネルギーを感じます。ケニーさんはハワイに住み、スチールドラムのイアン・ドブソンさんもカリブ海の島、トリニダッド出身です。島の想いや、アーティストの内側からにじみ出てくるものを皆さんに伝えたいです。

(注記)ワールド太鼓フェスティバルの主催、ジャパン・クリエーティブアーツは「太鼓の学校」、太鼓グループ「ちきり太鼓」と共に、音楽を通して日本の文化を世界に発信することを目的とする団体。

北米報知は、ワシントン州シアトルで英語及び日本語で地元シアトルの時事ニュースや日系コミュニティーの話題を発信する新聞。1902年に創刊した「北米時事 (North American Times)」を前身とし、第二次世界大戦後に強制収容から引き上げた日系アメリカ人によって「北米報知(North American Post)」として再刊された。現存する邦字新聞として北米最古の歴史を誇る。1950年以前の記事は、ワシントン大学と北米報知財団との共同プロジェクトからデジタル化され、デジタル・アーカイブとして閲覧が可能(https://content.lib.washington.edu/nikkeiweb/index.html)。