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シアトル広島県人会 四つ葉学院で平和教育

シアトル広島県人会の行方 令さん(左)と倉本君枝さん(右)による特別授業。ふたりとも優しい人柄がにじみ出る

by 室橋美佐

シアトル広島県人会の行方 令(なめかたつかさ)さんと倉本君枝さんが、 10月24日に四つ葉学院の土曜補習授業教室を訪ね、小学校高学年児童へ広島の地理や歴史についての特別授業を行った。

「広島について知っていることはありますか?」との行方さんからの問いかけに、まず返ってきた声は「広島カープ」。お母さんがファンだという男の子からだ。さらに(厳島神社の)大鳥居、お好み焼き、牡蠣などが挙がる中、原爆についてはほとんどの子どもたちが知っていた。日本人の親に育てられながらアメリカで生活する子どもたち。どこかしら複雑な思いで耳にした言葉かもしれない。

行方さんが現会長を務めるシアトル広島県人会は1900年創設。太平洋戦争で活動停止後、1948年に再開した。広島市児童図書館(現・広島市こども図書館)の開館資金援助など、原爆投下後の広島への復興支援を積極的に行った。「現在は日系2世、3世の方と、新1世と呼ばれる戦後渡米者の約150名の会員がいます」と行方さん。2010 年からシアトルに住む被ばく生存者7名のインタビュー映像を英語字幕付きで県人会ウェブサイトに掲載。被ばく者の声をシアトル周辺で伝える平和教育活動も行う。

四つ葉学院での特別授業でも、被ばく者インタビューが上映された。内容は、広島赤十字病院で看護学生として1カ月間にわたり被ばく者を看護した蜂谷モモエさんと、崩壊した建物の下敷きになるも通りかかった老人に助け出された田中りつ子さんが当時の体験を語るもの。蜂谷さんは、火傷で体中が真っ黒になった姿で苦しみながら亡くなっていった人たちを回想して「あの惨状はもう、何とも言えない」と伝えた。田中さんは、建物の 下敷きになり取り残されて「ここで死ぬなら、せめて誰かに知ってもらいたいと思った」と死を覚悟した際の生々しい記憶を語った。

「原爆投下時点で、沖縄はアメリカ軍の手に渡っており、本土も大都市はほぼ空爆で焼け野原の状態。原爆投下の必要があったのか、私には分かりません」。行方さんは被ばく者インタビュー上映後、そう言葉を結んだ。原爆投下から1年のうちに広島で約12万人、長崎で約7万5千人が亡くなった。子どもたちは神妙な顔つきで思いをめぐらせつつ、倉本さんから平和を願う折り鶴の説明を受けて色紙を手渡されると、笑顔で鶴を折り始めた。今では友好関係にある日本とアメリカ。その両国をまたいで育つ子どもたちにとって、この特別授業は意味のある貴重な時間となったことだろう。

北米報知社ゼネラル・マネジャー兼北米報知編集長。上智大学経済学部卒業後、ハイテク関連企業の国際マーケティング職を経て2005年からシアトル在住。2016年にワシントン大学都市計画修士を取得し、2017年から現職。シアトルの都市問題や日系・アジア系アメリカ人コミュニティーの話題を中心に執筆。