母方の祖父は農家 の婿養子にきて、3人の子供に恵まれ、妻に先立たれた。昔のこととて、早速、後添えが世話され再婚し、また3人の子供に恵まれた。
もう中年になっていたが、残念なことにこの後妻にも先立たれ、仲人はまた候補者を物色した。
すると、嫁に行って7年たっても子供ができず、実家に帰された「出戻り」がいるというので、「ちょうどよかんべー」ということで、50 歳を過ぎてから3人目の妻を迎えた。ところがである、この新しい妻に また3人子供ができて通算9番目の子、 お父っつあんが 60 歳 の時に生まれた末っ子というのが私の母である。それ故に自分より年上の甥や姪がたくさんいた。母が生まれる頃は両親は引退して「隠居所」に住み、母屋は長男夫婦の代になっていた。
祖父は天保生まれの人にしては珍しく、よく読み書きをしていたという。その頃の田舎の子供の日課は石油ランプの「ほや」の黒い煤の掃除だった。それにしても、明治の日本の農村で出戻りになった祖母は、さぞかし肩身の狭い思いをして実家に身を寄せていたことか。そ して、思いがけず二男一女の母となることができて、どんなに嬉しかったことだろう。
しかし末っ子が 12 歳のとき、そのおっ母さんは腹膜炎で亡くなってしまった。72 歳のお父っつあんはまたもや妻を亡くし、それでも末っ子が 20 歳になるまで長生きして、 80 歳で天寿を全うしたとい う。
(エニス千鶴子)