Home 新書で知る最新日本事情 2016年1月刊行から

2016年1月刊行から

本では毎月100冊以上の新書が出版されている。「教養」から「時事」、「実用」まで多種多彩な新書群を概観することは、日本の最新事情を知ることでもある。日本で唯一の新書のデータベース「新書マップ」と連携したウェブマガジン「風」に連載の新刊新書レビューを毎月本紙で紹介する。

日本固有の領土」という言葉

『竹島/もうひとつの日韓関係史』(池内 敏著、中公新書)(写真)は、竹島とわが国との関わりを「歴史的事実に基づき」詳細に明らかにしようとするもの。「我が国は、遅くとも江戸時代初期にあたる17世紀半ばには竹島の領有権を確立していました」というのが、現在の日本政府見解である。韓国側は、「独島( 竹島)は明らかに韓国固有の領土」だとし、領有権紛争は存在しない、という立場を崩さない。本書は文献史料、古地図・海図などをもとに史実を検証していくと同時に、日韓両政府それぞれが主張し、噛み合っていない議論の要点を整理していく。竹島論争の初期段階で島名の誤認によって議論が混乱したことをふまえ、竹島/独島の地図上の名前の変遷についてをまずは細かく解説している。

現在、義務教育で用いられる社会科教科書には「竹島は日本固有の領土である」と明記することが文科省により指導されている。「日本固有の領土」という言葉の意味することは何なのかを、北方領土の場合、尖閣諸島の場合もふまえて解説する。

『地名の楽しみ』(今尾恵介著、ちくまプリマー)は、「無形文化財にして日用品」ともいう「地名」の多彩な世界をひもといていく。著者は、東日本大震災を機に地名に関心が集まっている事を実感しているという。その一方で、「この漢字が使われた地名は危ない地盤だ」といった我田引水的な見解をメディアに流出させる傾向が気がかりだ、としている。地名の文字だけを切り取って「土地の安全性」に結びつける安易な風潮を「非科学的かつ無責任」と批判し、地名についての基礎的な教養が確立されるべき、と主張する。

『日本にとって沖縄とは何か』(新崎盛暉著、岩波新書)(写真)は、戦後から現在までの沖縄現代史を振り返り、在日米軍基地の75%が沖縄に集中するというような「構造的沖縄差別」をどうのりこえていくか、沖縄と日本の「あるべき姿」を問いかける。著者は、沖縄現代史の第一人者であり、沖縄大学学長も務めた人物。辺野古新基地建設の問題は、「日米沖」関係史の戦後70年の到達点であり、今後を考える起点でもあるとしている。

一方、『オキナワ論/在沖縄海兵隊元幹部の告白』(ロバート・D・エルドリッヂ著、新潮新書)は、アメリカ側の視点から、「日・米・沖」のあるべき姿とは何かを考えていく。2011年東日本大震災の際には、日本での人脈を生かし、「トモダチ作戦」の際の根回しにも奔走したという。「沖縄の地元メディアは何かにつけて日本政府やアメリカに『反対』するのが一つの文化になっていると、その正確性や中立性に疑問を呈している。基地さえなくせば平和な島に戻れるのか、『NOKINAWA』(「反対」しか言わない沖縄」)でよいのか、とあえて直球で問い質す。

『日本鉄道史 大正・昭和戦前篇/日露戦争後から敗戦まで』( 老川慶喜著、中公新書)は、幕末の鉄道導入期から明治の鉄道国有化までをとりあげた『日本鉄道史 幕末・明治篇』(2014年5月刊)の続編である。本書では、1907年(明治40年)から、45年(昭和20年)8月の敗戦に至るまでという怒濤の約40年間の歴史を描く

「平和」を求め戦う人類普遍の葛藤

「なぜ、キリスト教徒は『愛』と『平和』を口にするのに、戦争をするのだろうか」という疑問から生まれたのが『キリスト教と戦争/「愛と平和」を説きつつ戦う論理』(石川明人著、中公新書)。聖書では「戦争」と「平和」についてどう記述しているかを検証し、十字軍の時代から現代のイラク戦争にいたるまで、キリスト教と武力行使の歴史を振り返る。キリスト教徒が平和を祈る際に最終的に口にする「愛」という概念の難しさについてもふれている。

長い歴史をもつ宗教のほとんどは、何らかの形で戦争や暴力と関わって来ている。キリスト教徒が抱える葛藤と矛盾は、他の宗教のみならず、無宗教の人たちも含めて、すべての人間が共通して抱える葛藤であり矛盾である、としている。

今後30年以内の発生確率が約70%とされる「南海トラフ地震」について、「日本列島に住む以上、避けられない宿命の巨大地震」だと断言するのは、『南海トラフ地震』(山岡耕春著、岩波新書)の著者。この巨大地震の仕組み、地震対策、政府と自治体の被害想定など、全体像を網羅的にわかりやすく解説している。日本は世界の中で特に地震が多い国であるということを改めて考えると、「地震が怖ければ海外へ行くという選択肢もある」ということを、特に若者には伝えるべきだとしている。

『1998年の宇多田ヒカル』(宇野維正著、新潮新書)のタイトルにある、1998年とは、日本の音楽業界史上最高のCD売上を記録した年であり、宇多田ヒカル、椎名林檎、aiko、浜崎あゆみがデビューした年。音楽ジャーナリストの著者はその年を日本のポップ・ミュージック史において「特別な年」だったと考える。今では考えられないほど人々がCDを買っていたあの年に、何が起こっていたのか。年齢も、出身地も、育ちも、デビューまでの経緯も全く異なる4人。彼女たちは何を歌ってきたのか。本書冒頭に掲載されている、1998年と2014年の年間シングルチャートを見比べただけでも音楽業界のここ10数年のさまざまな変化が読み取れそうだ。

息苦しい時代の処方箋はある?

政府は「女性がより活躍できる社会に」とアピールしているが、女性の職場環境が向上する兆しが見えないのはなぜだろうか。『マタハラ問題』(小酒部さやか著、ちくま新書)の著者は、日本の企業で、マタハラ(マタニティハラスメント:妊娠・出産・育児をきっかけに女性が職場で受ける精神的・肉体的な嫌がらせ、解雇や雇い止め、自主退職の強要等の不当な扱い等)が、なぜはびこるのかを、自身の受けたマタハラの経験をもとに、掘り下げる。

職場の女性が妊娠したらどう対応するべきなのか、「正直、正解が分からない」という声にも答える一冊となっている。マタハラ問題に取り組む事は「妊娠する女性だけの課題」ではなく、ワークライフバランスの向上といった、だれもが働きやすい職場環境を整えることにつながるのではとしている。

生活保護受給者へのバッシングに象徴されるように、弱者が、自分より弱い立場の人間を攻撃するような空気。『この国の冷たさの正体/一億総「自己責任」時代を生き抜く』(和田秀樹著、朝日新書)(写真)は、なぜ日本人、日本社会はここまで他人に冷たくなったのか、助けを求められない社会になったのかを考える。

著者は、テレビを通じて視聴者が「悪」を徹底的に叩く風潮に危険を感じると同時に、完璧な人間をありがたがるような風潮も、テレビが描く危険な「幻想」だとしている。例えば、お笑い芸人にも品行方正を求めたり、ノーベル賞など立派な業績を挙げた人物について、性格も素晴らしく、どこにも欠点のない聖人君子のような人間として(しかもその家族も素晴らしい人物として) 描く。そうした「人間は完璧でなければいけない」という無意識の刷り込みが、私たちをかえって苦しくしているのでは、という指摘は、非常に説得力がある。

『安倍晋三「迷言」録/政権・メディア・世論の攻防』(徳山喜雄著、平凡社新書)(写真)は、安保法制、戦後70年談話などに関わる安倍首相の「迷言」と、それに対する政権、メディア、世論の反応を取り上げる。

著者は、特に第2次安倍政権になってからの官邸のメディア対応について、「注目すべきものがある」と見ている。安保法制成立直後など、重要な節目の時には、日頃から政権に批判的なメディアではなく、シンパのメディアを選択して「単独インタビュー」方式を多用している。政権に近いメディアとそうでないメディアを峻別し、都合良くメディアを使おうとしているようにしか見えない、という。一方で、首相の発言に野党政治家やリベラル系メディアが敏感に反応し、厳しく攻撃することは、世論を二者択一の極論に分断し、最終的に数の力をもつ安倍氏に有利に働くことになる危険性もある、としている。

昨年、報道番組の内容に問題があるということで、自民党がテレビ局幹部を呼びつけ、事情聴取をするという「異例」の事態に発展した。許認可や行政指導をもつ政権側が、こうした圧力ともとれる対応をすることは看過できないとした上で、報道の萎縮、権力批判への自主規制が広がっていくのでは、という懸念を示している。その後、総務大臣が放送法を持ち出して、「電波停止もあり得る」と露骨に脅すような発言まで生まれている。著者もそこまでは予想できなかったのではないだろうか。

(連想出版編集部 湯原葉子)

北米報知は、ワシントン州シアトルで英語及び日本語で地元シアトルの時事ニュースや日系コミュニティーの話題を発信する新聞。1902年に創刊した「北米時事 (North American Times)」を前身とし、第二次世界大戦後に強制収容から引き上げた日系アメリカ人によって「北米報知(North American Post)」として再刊された。現存する邦字新聞として北米最古の歴史を誇る。1950年以前の記事は、ワシントン大学と北米報知財団との共同プロジェクトからデジタル化され、デジタル・アーカイブとして閲覧が可能(https://content.lib.washington.edu/nikkeiweb/index.html)。