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川部メモリアル財団 人道支援団体向けにグラント申請受付中

川部メモリアル財団
人道支援団体向けにグラント申請受付中

川部メモリアル財団委員会が、川部メモリアル財団のグラント(支援金)への申込を2021年3月12日まで受け付けている。同グラントは各団体へ2500ドルから1万ドルの範囲で支払われるもので、シアトル地域内で生活困窮者、子ども、高齢者への人道サービスを行う非営利団体が対象だ。バンク・オブ・アメリカのウェブサイト(www.bankofamerica.com/philanthropic/search-for-grants)から申請できる。

川部メモリアル財団は1971年からこのグラント・プログラムを行っており、これまで1300件の申請に対して総額510万ドルの支援金を支給してきた。同財団のグラントと奨学金の配給先は、シアトル地域に住む11人の財団委員会メンバーが審査をして決定する。生活困窮者への食事、シェルター、衣料品、医療品、メンタル・ヘルス・ケアなどの支援に直接的に活用されるかどうかが選定の基準となる。「これまで日系やアジア系コミュニティーからの申請が少なかったので、この告知で日系コミュニティーへもこのグラント・プログラムについての情報が伝わると良い」と、財団委員会メンバーはコメントをしている。

川部メモリアル財団は、ハリー・S・カワベ氏の遺言を下に1971年に設立。日本の農家出身のカワベ氏は、1915年に25歳で渡米し、アラスカの鉄道建設現場で働いて資金を得た後に、アラスカで洗濯業を開業。米国陸軍や海軍、鉄道や蒸気船会社、ホテル、病院などと大型の契約を結んでビジネスを拡大し、アラスカで最大の洗濯業者へ成長させた。また、ホテルやアパートなどの不動産のほか、ダイナー、バー、金物店、理髪店、金鉱などのビジネスにも投資をして蓄財し、川部ギフトストアと毛皮商品を扱うアラスカ・ファーズも設立した。

しかし太平洋戦争が始まると、カワベ氏は築いた資産やビジネスの多くを失う。また、反外国人法のために米国市民権を許可されなかった。戦時中、カワベ氏はテキサス州とニューメキシコ州の司法省収容所で過ごした。

戦争が終わると再び、起業家・投資家として活動。一方で、日系コミュニティーのリーダーとしても活躍した。1947年には、アラスカ州の日系コミュニティーを代表し、ワシントン州代表の三原源氏と奥田平次氏とともに、日系一世の市民権取得権を交渉するためにサンフランシスコの会議へ出席。後年にはアラスカからシアトルへ移住し、貿易ビジネスと不動産で引き続き成功を収めた。

1969年、カワベ氏は高齢者に手頃な価格の住宅を提供するプロジェクトである川部メモリアルハウスを設立。154ユニットの高齢者向け複合施設は現在もシアトルの中心部にあり、シニア住宅や高齢者向けプログラムを非営利で提供している。

川部メモリアル財団へのグラント申請についての問い合わせは、バンク・オブ・アメリカのジャン・ジェイコブさんまで:Jan Jacobs, Philanthropic Client Manager, Bank of America Private Bank)まで。Eメール:janet.jacobs@bofa.com、(206)358—0912 。

北米報知は、ワシントン州シアトルで英語及び日本語で地元シアトルの時事ニュースや日系コミュニティーの話題を発信する新聞。1902年に創刊した「北米時事 (North American Times)」を前身とし、第二次世界大戦後に強制収容から引き上げた日系アメリカ人によって「北米報知(North American Post)」として再刊された。現存する邦字新聞として北米最古の歴史を誇る。1950年以前の記事は、ワシントン大学と北米報知財団との共同プロジェクトからデジタル化され、デジタル・アーカイブとして閲覧が可能(https://content.lib.washington.edu/nikkeiweb/index.html)。