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シアトル桜祭・日本文化祭がシアトル・センターで開催

今年で44回目を迎えるシアトル桜祭・日本文化祭が、4月26日から28日までの3日間、シアトル・センターのアーモニー・アンド・フィッシャー・パビリオンで開催される。運営責任者である佐々木豊さん、タヅエさん夫妻に話を聞いた。

シアトル・センターで行われる世界の文化紹介シリーズ「シアトル・センター・フェスタル」の中でも最古の歴史を誇る桜祭。始まりは1976年にさかのぼる。当時の三木武夫首相によって、米国の独立200年を祝し、一千本の桜が日本国政府からシアトル市に贈呈、植樹された。1930年代に学生としてシアトルに滞在し、シアトルにはゆかりのあった三木元首相。千本桜は三木元首相からの日米友好の証しであった。その返礼として、ウェスリー・ウルマン元シアトル市長が要請し、桜の植樹されたレイク・ワシントン湖畔のスワード公園で記念祝賀式典が開催されたのが、今の桜祭の原型だ。

式典は、ワシントン州の民間交流団体である日米協会のアメリカ人幹部らによって企画された。今もスワード公園には、日米協会、春秋会(現・シアトル日本商工会)、シアトル日系人会によって当時寄贈された石灯籠と、三木首相による書「祝米国建国二百年祭」の彫られた石碑が、美しく咲く桜と共に残る。

佐々木さん夫妻はボランティアとして1979 年から桜祭に携わる。タヅエさんはシアトル出身の日系アメリカ人。当時、ワシントン大学で教鞭を執っていたリチャード・マッキノン教授がタヅエさんにボランティアを依頼したのが、活動を始めたきっかけだそう。マッキノン教授は、歌舞伎や能といった日本伝統文化研究の権威。1970~80年代のワシントン大学では、日本文化研究が非常に盛んだったという。「妻のほうが私よりよっぽど日本人らしいですよ」と、東京出身の江戸っ子である豊さんは笑う。

佐々木豊さん(左)タヅエさん(右)夫妻

桜祭が日米協会から独立し、非営利団体としてスタートしたのは1982年のこと。豊さんは桜祭を、ただの文化紹介イベントで終わらせたくないと語る。最も大切にしている言葉 が「エンパシー(Empathy)」だ。単純に日本語に訳してしまうと「同情」や「共感」となるが、それだけではない。誤解や偏見のない文化理解を通じて、異文化集団に属する個々が、同じ場所に立ち、同じ目線で、お互いの感情を分かち合えるようになって欲しい、という思いが込められている。実際に、現在の桜祭運営委員会には、中国系やユダヤ系など、さまざまな文化的背景を持つ人々が名を連ねている。日本文化への興味や共有がつないだ輪だ。

今年のテーマは、来年の東京オリンピックに合わせ「2020 東京オリンピック・プレビュー」。 しゃもじ卓球「しゃむてん」や、箸のスキルを競い合う「箸りんぴっく」など個性的な競技が行われる。そして、オリンピック・スポーツのデモンストレーションとして、空手と柔道も披露され る。また、日本からのゲスト、国際箸学会による箸を通しての日本の文化紹介も予定されている。

金曜は各学校からのツアーを多く受け入れており、今回もシアトル近郊はもちろん、ヤキマからも多くの児童がバスで訪れるという。こうしたバス手配にかかる費用などのサポートも運営委員会が行っている。桜祭で日本文化に触れた子どもたちが、将来的に文化の架け橋となって活躍してくれることに期待したい。