日本では毎月100冊以上の新書が出版されている。「教養」から「時事」、「実用」まで多種多彩な新書群を概観することは、日本の最新事情を知ることでもある。日本で唯一の新書のデータベース「新書マップ」と連携したウェブマガジン「風」に連載の新刊新書レビューを毎月本紙で紹介する。
太平洋戦争を挟みアメリカで生きた日系アメリカ人二世、ジョン・オカダ(John Okada)が残した小説「ノーノー・ボーイ(No-No
Boy)」。1971年に47歳で亡くなった彼の唯一の作品は、戦争を経験した日系アメリカ人ならではの視点でアイデンティティをはじめ家族や国家・民族 と個人の在り方などさまざまなテーマを問う。いまも読み継がれるこの小説の世界を探りながらその魅力と意義を探っていく。
小説「ノーノー・ボーイ」が出版されたのは1 9 5 7年、アメリカと東京に本部を置くチャールズ・イー・タトル出版から出された。1 9 4 8 年に設立さ れた同社の創立者チャールズ・イー・タトルは、戦後連合国総司令官ダグラス・マッカーサーの命を受けて日本の出版業界再生のため来日し、洋書や洋雑誌の輸 入なども手掛けた。
作品の内容に加えて作者のオカダが日系人であったことやアメリカの軍人として日本に駐留したことがあることもタトル社から出版されたことと関係があるのかもしれないが、出版の経緯は詳しくはわからない。
アメリカの小説としてアメリカで出版された「ノーノー・ボーイ」はハードカバーで全308ページ。表紙には、男が両拳で顔をふさぐ荒々しいタッチの絵と、その上から有刺鉄線が描かれ、激しい苦悩を印象づけるものだった。本書のなかで触れられる刑務所あるいは収容所をはじめ、何かに囚われた人間を想像させる。
国家への忠誠を問う質問から
1941年12月の日本軍による真珠湾攻撃とともにアメリカの日本人そして日系人は敵性外国人として扱われ、翌年からアメリカ西海岸に住む日本人を 祖先にもつすべての者が強制収容所に入れられた。そこでアメリカ政府はすべての成人収容者に対して「忠誠に対する質問状」を出した。
質問は33項目で、その第27項は、徴兵年齢に達していた男子に「あなたはいかなる場所にあっても戦闘義務をはたすべく合衆国軍隊にすすんで奉仕す る用意はありますか」と問い、続く第28項では、全収容者に対して「あなたは無条件でアメリカ合衆国に忠誠を誓い、合衆国を外国や国内の敵対する力の攻撃 から守り、また、日本国天皇をはじめいかなる外国政府・権力・組織に対しても忠誠も服従もしない、と拒絶することを誓えますか」と質した。
この二つの質問に対して「NO(ノー)」と答えた者がのちにノーノー・ボーイと呼ばれた。全体としては少数派でその理由は単純ではなかった。また、多くの日系人が戦場で戦い犠牲になった者もいるなかで、ノーノー・ボーイに対する偏見や差別が生まれた。
戦後のシアトルを舞台に
小説の舞台は、太平洋戦争直後のワシントン州シアトル。日系移民の歴史が古いこのまちで生まれ育った日系アメリカ人2世ヤマダイチローという若き主人公の苦悩を描く。イチローの両親はともに日本からの移民一世で、母親は狂信的なほど日本を愛し、日本の敗戦を信じていない。父親は母親の異常をただ傍観 するしかなくやるせなさを酒で紛らわす。
この母親の心情を忖度したのか、戦争がはじまり多くの日系人が従軍していくなか、イチローは徴兵を拒否し刑務所へ入る。物語は、戦争が終わりイチローが刑務所を出てシアトルへ帰ってきたところからはじまる。
イチローの周りにはさまざまな立場で戦争の傷跡を引きずる人間が登場する。彼らとのかかわりを通してイチローは自分が下した判断について悩み続け、日本人でもないアメリカ人でもない自分はいったい何者で、これからどういう生き方があるのかを必死に模索する。
彼の判断を母親は誇らしく思う一方で、弟のタローは兄の行為を恥じて軍に志願する。それを知った母親は直後に自殺する。イチローはこの先どこへ行こうとしているのかと、読む者は彷徨う魂の行方を追う。
イチローは徴兵を拒否して服役するので正確にはノーノー・ボーイではないが、アメリカに背を向け差別や偏見に遭い、戦後生き方に悩むという点ではノーノー・ボーイと同様にとらえられるという理由でこの言葉がタイトルに使われたのだろう。広い意味でのノーノー・ボーイと解釈してもいい。
受け入れられず忘れ去られる?
初版は1500部出版された。残念ながら戦争の陰が濃く残るなか小説の背景とテーマがまだ日系アメリカ社会に受け入れられなかったのか、反響は少なかった。本の売れ行きは思わしくなく、以後20年たっても出版社は売り切ることがなかったという。
出版から13年後に心臓発作で急死するまで、オカダはほかの作品を発表することはなかった。彼の最初で最後の作品は世間でほとんど話題になることがないうちに、彼は世を去ったことになる。そして「ノーノー・ボーイ」は埋もれたまま忘れ去られようとした。
しかし、彼が亡くなる1年前の1970年にサンフランシスコのジャパンタウンの本屋である若手作家がこの本を手にしたことが埋もれた名作に光をあてることになった。
(敬称略)
(川井 龍介)
筆者プロフィール:
ジャーナリスト。慶應大学法学部卒。毎日新聞記者などを経て独立、ノンフィクションを中心に執筆。「大和コロニー『フロリダに日本を残した男たち』」(旬報社)、「『十九の春』を探して」、「122 対0の青春」(共に講談社) などど著書多数。「No-No Boy」の新たな翻訳を手掛ける。この夏、『ノーノー・ボーイ』の新訳を旬報社から出版予定。