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「ノーノー・ボーイ」の世界を探る 第8回

第8回 パールハーバーの波紋~序文から読む

太平洋戦争を挟み米国で生きた日系二世、ジョン・オカダ(John Okada)が残した小説「ノーノー・ボーイ(No-No Boy)」。1971年に47歳で亡くなった彼の唯一の作品は、戦争を経験した日系人ならではの視点でアイデンティティをはじめ家族や国家・民族と個人の在り方などさまざまなテーマを問う。いまも読み継がれるこの小説の世界を探りながらその魅力と意義を探っていく。

アメリカのオバマ大統領が広島を訪問することが明らかになった。日米開戦によって複雑な立場に置かれたアメリカの日系人は、このことをどんな思いで受け止めたのだろうか。

振り返れば、開戦後に収容所へ送られたこと。そのなかからアメリカ軍の軍人として戦地に赴いた多くの人がいたこと。少数ではあったがアメリカへの忠誠を拒否した人もいたこと。日本とアメリカの間で多くの日系人が生活を、そして心を揺さぶられた。

すべては1941年127日(日本時間では8日)、日本軍によるハワイのパールハーバー攻撃からはじまった。

『ノーノー・ボーイ』は、主人公イチローの物語がはじまる前に、その背景を語る序文がついている。開戦直後の日系人をとりまく社会の混乱や日系人の反応を、いくつかの事例(フィクション)によって読者に示している。

序文はこうはじまる。

DECEMBER THE SEVENTH of the year 1941 was the day when the Japanese bomb sfellon Pearl Harbor. As of that moment, the Japanese in the United States became, by virtue of their ineradicable brownness and the slant eyes which, upon close inspection, will seldom appear slanty, animals of a different breed.

「日本の爆弾がパールハーバーに落ちたのは、一九四一年一二月七日のことだった。この瞬間からアメリカ合衆国の日本人は、生まれつきの黄色い肌と吊り上がった目――よく見れば決して吊り上がっているわけでもないけれど――のためにほかのアメリカ人とは別の種類の動物になってしまった」

このあと、混乱の様子を示すエピソードがいくつも語られる。以下順を追って紹介し、それがなにを象徴しているかを考えてみる。

大学では、日系の優秀な大学生を前にして、教授が困惑する。日系の学生が不条理な目に遭うことは、おかしいと思ってみても教授にはどうすることもできない。

酒場では酔っ払いが、ジャップは卑劣だとののしり、自分は軍に志願するといった。男が住むアパートの大家は日本人で、男は家賃を滞納していた。しかし、この日本人は男が酔いつぶれて道端に寝たので彼を抱きかかえて部屋まで連れて行ってあげた。日本人の人の良さを示す話だ。

ある売春婦は、お客としてつきあってきたなかで日本人に好意を寄せていたから、日本人の置かれた状況に大いに同情した。また、商売上手な日本人にやりこめられていたアメリカ人の商売人ですら日本人について同情した。これらは日本人が好かれていた例を示している。

パールハーバー後、アメリカの日系人は、いきなりそれまでのユダヤ人と同等の立場になったという。長年差別と偏見に遭っていたユダヤ人と同じになった。

「仕方がない」という心情と態度

アメリカ中が日本を非難するなかで、アメリカ生まれだろうが、日本人の血を引くものは日本人にみなされた。そしてアメリカという国家は日系人や日本人に対して特別な政策をとる。日本に送り返したり収容所に送ったりした。

序文は最後に、日本領土を偵察飛行してグアムに帰る米軍機のなかでの、ネブラスカ州(太平洋岸ではない)出身の白人の中尉と日系人の兵士との会話で締めくくる。

兵士の家族は収容所にいた。このことを中尉に説明するが、アメリカの軍人の家族がそのような扱いを受けていることを中尉は理解できない。

ここでは太平洋沿岸のアメリカ人とそれ以外では、在米の日系人に対する見方が違っていることを作者(オカダ)は示している。

兵士は、理解できない中尉に対して、自分にはそれを受け入れざるを得ない理由があったという。そして、徴兵を拒否したために刑務所に入った友人のことを考える。彼にもまたそうしなくてはならない理由があった。序文はこうして終わる。

パールハーバーで、状況は一変してしまった。個々のアメリカ人の心情はともかく、全体としては、日本的なものは憎悪の対象となった。そして、最後の兵士の思いに象徴されるように、パールハーバー以後に日系人を襲った状況は、それが不法であろうが不条理だろうが、抗しきれないものであり、日系人にとってはただ流れに従うしかないものだったと作者は暗示している。このときの日系人の心情を表わす言葉としてよく知られる、「仕方がない」というものに等しいだろう。

こうした日系人を取り巻く混乱は、終戦とともに形の上では収まる。収容所から出た人は、かつてのホームやあるいは新天地で新たな生活をはじめる。しかし、戦地で犠牲になったものもいるし、人によって心の傷を抱えたままのものも多くいた。そのひとりが、『ノーノー・ボーイ』の主人公イチローだった。

次回からは、物語をほぼ章ごとに追って、その内容と意味するものを考察していく。

(敬称略)

(川井 龍介)

編集部より

本記事は全米日系人博物館が運営するウェブサイト「ディスカバーニッケイ(www.discovernikkei.org)」からの転載になります。

筆者プロフィール:ジャーナリスト。慶應大学法学部卒。毎日新聞記者などを経て独立、ノンフィクションを中心に執筆。「大和コロニー『フロリダに日本を残した男たち』」(旬報社)、「『十九の春』を探して」、「122対0の青春」(共に講談社)などど著書多数。「No-NoBoy」の新たな翻訳を手掛ける。この夏、『ノーノー・ボーイ』の新訳を旬報社から出版予定。