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原爆投下犠牲者慰霊祭「From Hiroshima to Hope」 グリーンレイクで32回目の開催

文:天海幹子

1945年8月6日広島に、2日後の9日に長崎に原子爆弾が投下されてから今年で72年。原爆死没者と戦争によるすべての犠牲者の冥福を祈る慰霊祭「フロム・ヒロシマ・トゥ・ホープ(From Hiroshima to Hope)」が8月6日、例年通りグリーンレイク湖畔で行われた。1984年に始まったこの式典は外国においては一番長い歴史を持ち、昨年は1000人以上が参加し、灯篭流しとしては全米で一番大きな式典として評価されている。「ヒロシマ・デー」と呼ばれていた当初は、当地在留広島の被爆者、原爆反対の活動家の参加が多くみられたが、イベント名称も変わった近年では、戦争や暴力のない世界、世界中の人々が平和に生きられる環境を願う方向に向けられている。

マーシャ高村さんの琴、ジェームス・ジェニングス氏の尺八演奏が流れる中、米国書道会のボランティアによる習字入り灯篭作りのブースの前には長蛇の列ができた。広島と長崎の原子爆弾投下後の写真展示ブースも、入れ替わり立ち代わりの人々で溢れ、ステージ前の芝生にはピクニック弁当を広げた家族連れなど、昨年以上の参加者でにぎわった。

参加者の中には、ベインブリッジ・アイランド・ジャパニーズ・アメリカン・コミュニティ会長のクレアランス・モリワキ氏も見られた。「広島出身の祖父の息子14人のうちの長男が父で、祖父は一時帰国中に被曝して帰ってきませんでした」と、慰霊のために灯篭流しに参加している。

ベインブリッジ島の日本山妙法寺の金枝宣治上人、ギルバート・ペレス上人の安寧と平和の経の開会の儀礼に始まり、黙とう。ネイティブアメリカンの若者の歓迎の歌、シアトル最古の太鼓グループである古今太鼓の力強い演奏が湖に響き渡り、DENSHO創立者であり現会長のトム・イケダ氏のスピーチと続いた。

イケダ氏は祖父母と両親が収容所体験者。収容所仲間のあいだでよく使われていた言葉「仕方がない」について語った。「収容所で過ごした人たちは、他人に対する深い思いやりがあり、『仕方がない』から前に進もうとするポジティブな思想を持っている」。収容所からニューヨークのハーレムへ移った日系人ユリ・コチヤマ氏が黒人社会が受けてきた迫害を思いやり、一方で友人関係になったマルコムXが被爆者を思いやったという話を例にとり、「私たちは家族や知人だけでなく、他人に対しても思いやりの心を持つことで、シアトルを素晴らしい場所にできる。これをシアトルから世界に向けて発信するのが希望であり、『フロム・ヒロシマ・トゥ・ホープ』の集会の意図だ」と結んだ。
金枝上人とペレス上人を先頭に、暮れ始めたグリーンレークの桟橋へと行進し、恒例の灯篭流しが始まった。参加者はそれぞれの願い事の書かれた灯篭を、ボランティアの手を借り桟橋から湖に落としてもらう。今年はカナダの山火事の影響で空気が淀み風がないため、幾百の灯篭は岸辺に漂い、あたかも名残惜しそうな祖先のみ霊の情緒をかもし出していた。