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シアトル日本町、夏祭りの復活

文=天海幹子

シアトル日本町商業団体のフレンズ・オブ・ジャパンタウンが主催する「Hai! ジャパンタウン」が、8月26日にインターナショナル・ディストリクトで開催された。第二次世界大戦時、日本人や日系アメリカ人が強制収容所に送られると共に消え失せてしまった日本町を復活させようと、当時恒例であった夏祭りを再現し盛り上げようというものだ。メイン会場になったヒング・ヘイ・パークでは、古今太鼓の演奏、日系人の少年が主人公のディズニー映画『Big Hero Six(ベイマックス)』の上映、シアトルストームの渡嘉敷来夢(とかしき・らむ)選手のサイン会などが行われ、夜間まで活気にあふれた。和みティーハウスでは日本のアニメや「カワイイ文化」に影響を受ける地元アーティストたちがクラフトやアート作品を販売する「MAHOUTOマーケット」が開催され、足の踏み場もないほどに、コスチュームを身にまとった若者たちで賑わった。

日本町ウォーキング・ツアー

当日は「Japanese American Remembrance Trail」と題された日本町のウォーキング・ツアーも行われた。ウィング・ルーク博物館は日本町ツアーを常時実施しているが、「Hai! ジャパンタウン」にあわせて行われた同ツアーは国立公園局(National Park Service)の協力を得て特別開催された。ツアーは北、中央、南と3部に分かれ、それぞれ約1時間ほどで日本町の名所である日蓮仏教会、日系二世退役軍人ホール(NVCホール)、シアトル別院仏教会、シアトル日本語学校、ワシントン州日本文化会館、シアトル道場、高野山仏教会、敬老ノースウェストなどを巡るもの。

戦前の日本町は、東西はウォーターフロントから南23番街、南北はジャクソン通りを中心にイェスラー通りからディアボーン通りまでを占める広地域に渡っていた。最盛期の1930年代には約8500人程の日系人口があった日本町。しかし、強制収容所からの解放後も日本人への差別を避けるためにあえて日本町へ戻らない日系人が多かったこと、日本町内の多くの日系店舗が閉店してしまったことなど、様々な理由で以前のような日本町は長いこと消えたままになっていた。

今年は大統領令9066号(日系人の強制収容)発令から75年目にあたる。そのタイミングもあり、「日系ヘリテージツアー」で巡るトレイルを国立公園局の公式ウォーキング・マップに載せるため、ウィング・ルーク博物館が主体になり今回試験的に実行した。博物館長のキャッシー・チンさんは、「トレイルと言っても眼に見えるハイキングトレイルとは違って、現在の日本町を代表する基点をつないで歴史的、教育的なガイドとしてナショナル・パーク・サービスの地図として登録するわけです」と説明。今年中には国立公園局から認可される予定だ。

ツアーでは、日本町を2つに切り裂いてしまったI5建設前の写真と現在の高架下を比べながら、当時の日本町が栄えていた様子が語られた。博物館ガイドによれば、現在では空き地になっている高架下のジャクソン通り北側はかつて日系人の住宅街で、南側には日本人の冠婚葬祭に欠かせない花屋が繁盛していたという。シアトル別院仏教会が戦時中に米海軍に占領されていた逸話なども、博物館ガイドから参加者へ伝えられた。

チヨ・ガーデン

ジャクソン・ビルのプライベート庭園である「チヨ・ガーデン」も、同日のイベントにあわせて一般公開された。ジャクソン通り沿いに位置し、工房ヒゴ店(Kobo at Higo)などが入居するジャクソン・ビルは、現在の日本町を代表する建物の一つ。かつて同ビルで「肥後10センツ・ストアー」を営業していた村上一家が世代を受け継いでビルを所有している。現在は、肥後10センツ・ストアーの最後の店主だったマサ・ムラカミさんの甥であるポール・ムラカミさんが所有・管理している。ポールさんは、庭に育った長十郎の梨で作ったペアーソースを立ち寄った人たちにふるまいながら「チヨ・ガーデン」造園のいきさつを語ってくれた。「地下にあった荷物を整理していたら、マサの姉、叔母のチヨの日記が出てきたんです。第二次大戦の前、結核で亡くなりました。だから僕は会ったことがないんです。その頃流行っていたんですね。可哀そうに。日記にはチヨが日本庭園が好きだったことが書かれていました。この庭は初めパーキング場にしようと思っていたのですが、4台くらいしか停められないので、コミュニティーの人たちが日本庭園にしてチヨ・ガーデンとしたらいい、と提案してくれました」

ジャクソン街から入る日本町アレーにあるこのガーデンの入り口の塀は、シアトルの日系人口の推移を表す棒グラフとなっており、10年ごとの年代と人口が刻まれている。日本町を残すことに情熱を持ったコミュニティの人たちが集まり、デザインして作り上げたものだ。
「叔母のマサはしゃべり好きで、お客さんとしゃべり過ぎると叔父に叱られていたくらいです」と語るポールさん。肥後10センツ・ストアーがコミュニティーからいかに愛されていたかがうかがえる。マサさんの話し好きがコミュニティーとの絆をしっかり築いていた証拠だろう。ガーデンの横の塀には「十仙肥後商店」と記された昔の看板が飾られている。

北米報知は、ワシントン州シアトルで英語及び日本語で地元シアトルの時事ニュースや日系コミュニティーの話題を発信する新聞。1902年に創刊した「北米時事 (North American Times)」を前身とし、第二次世界大戦後に強制収容から引き上げた日系アメリカ人によって「北米報知(North American Post)」として再刊された。現存する邦字新聞として北米最古の歴史を誇る。1950年以前の記事は、ワシントン大学と北米報知財団との共同プロジェクトからデジタル化され、デジタル・アーカイブとして閲覧が可能(https://content.lib.washington.edu/nikkeiweb/index.html)。