太平洋戦争を挟み米国で生きた日系二世、ジョン・オカダ(John Okada)が残した小説「ノーノー・ボーイ(No-No Boy)」。1971年に47歳で亡くなった彼の唯一の作品は、戦争を経験した日系人ならではの視点でアイデンティティをはじめ家族や国家・民族 と個人の在り方などさまざまなテーマを問う。いまも読み継がれるこの小説の世界を探りながらその魅力と意義を探っていく。
「ノーノー・ボーイ」をめぐる連載も今回で最終回を迎える。この間、並行して進めていたこの本の新たな翻訳を、「パール・ハーバー」からちょうど75年目となるころ出版することができた。と、同時にアメリカでドナルド・トランプという移民に対して排他的な政策をとる大統領が登場した。
テロリストを排除するために、警戒を強めることには大方異論はないだろう。しかし、今回の政策を支える考えのなかに、特定の人種や民族、宗教に対する偏見が潜んでいるとみられても仕方がない。
日本人による日系人への偏見
アメリカは多様な人種や民族、宗教、文化によって成り立っている。もちろん、歴史を振り返れば、ネイティブ・インディアンや黒人に対する想像を絶する差別、偏見はあったし、いまもってそれはなくならない。日系人、アジア人に対しても移民当初からそれはあったし、開戦後日系人に対しては激しい敵意も加わった。
偏見は他人種から向けられたものだが、実は日本人もまた、日系人に対して少なからぬ偏見をもっていた。このことは、日系アメリカ人作家であるジョン・オカダが、日系アメリカ人の世界を描いた「ノーノー・ボーイ」という作品が、日本でもっと評価されてもよかったのではないかという疑問に対する一つの答えになっているような気がする。
私自身も含めて日本人のなかに、なんらかの偏見があったということを思い出させたのは、1980年に出版された『小田実小説世界を歩く』(河出書房新社)である。アメリカ留学からはじまり世界を歩き、見て、感じたままをつづった『なんでも見てやろう』で、有名になった作家であり社会・政治運動家でもある小田実は、この中で14の小説について批評している。
副題に「漱石からジョン・オカダまで」とあり、名だたる作家ばかりだが、その最後に「『番外』の重大な小説……ジョン・オカダ『ノー・ノー・ボーイ』」として紹介している。日本で翻訳が出てから間もないころで、小田はこの小説に出合い衝撃を受けたという。が、その前に、日系アメリカ人に対して抱いていた偏見を吐露している。
アメリカでさまざまな人間に出会い、黒人やラテン系の人間とも知り合った小田だが、日系人とは積極的に知り合おうと思わなかった。1935(昭和7)年生まれの彼は、戦後占領時代に来た日系アメリカ人を見て、「白人のサル真似をする」「自分が合州国人であるということをカサにきていばりちらす人間たち」と感じたという。
体が震えるほどの感動だった
しかし、実際に一人の二世と知り合うなかで、彼が収容所体験をして戦争に行き、戦争から帰り大学を出てからも、「ジャップ」だから職がなかったことなどを知る。こうした体験はアジア系アメリカ人など「なんとか系」の人間たちに共通することで、小田は彼らの文学というものを読みたくなる。
言うならばリチャード・ライト(黒人文学の先駆者)のような作家が日系人にいないだろうかと求めていたところ、ジョン・オカダを知った。最初は、若いアジア系アメリカ人が編集したアジア系アメリカ人文学をまとめたアンソロジー「Aiiieeeee」のなかで紹介されている第一章だけを読んだ。「からだをふるわせるほどの感動を私にあたえた」という。
小田は、この小説にはいろいろな問題があるとして、次のように記す。
「一世」「二世」の貧乏。被差別、差別(「クロンボ」を彼らはバカにする。「クロンボ」も彼らをバカにする)。世代の断絶(ことに、「一世」「二世」とのあいだには共通に話せることはない)。「アメリカ」と「日本」、ちがい。断絶。そのあいだに起こった戦争。戦争の悲惨。母国とは何か。民族とは何か。愛国心とは何か。国家とは何か。国民とは何か。人間とは何か。生きるとは何か。金儲けとは何か。人生の幸福とは何か。性とは何か。愛とは何か。……
嫌悪の先に理想を夢見る
確かにその通りだろう。だが、これらを貫く形で、最終的にうっすら感じるのは、著者が描く、醜い現実世界への嫌悪であり、また反対に、その嫌悪をかき消してくれるような夢と理想の世界だ。
国家間、民族間、人種間、さらには同じ人種や民族の中でも起きる憎悪や差別。それらにうんざりしながらも、どこかで夢のようにかすかながら静かな理性に期待しているようなところがある。
いま、アメリカはトランプ大統領の出現によって、社会はまるで「パンドラの箱」を開けてしまったかのように、他者への憎悪や軽蔑などが一気に吹き出てきて混乱に陥っている。
「ノーノー・ボーイ」のなかで、イチローの友人で同じ日系人のゲーリーがイチローとの会話の中でいう言葉が印象に残っている。
「嫌な時代だ。おれたちにとってはそうだ。まわりは感情で支配されている。感情に走るばかりで頭で考えようとしない」
感情、それも悪感情が広まりつつあるからこそ、攻撃や批判ばかりではなく、冷静に道理を説く必要が今あることを、この小説は教えてくれたような気がする。「パンドラの箱」の中から出てきたのも、災いばかりではなく最後に「希望」があったことを思い出したい。(敬称略)
プロフィール:川井 龍介
ジャーナリスト。慶應大学法学部卒。毎日新聞記者などを経て独立、ノンフィクションを中心に執筆。「大和コロニー『フロリダに日本を残した男たち』」(旬 報社)など著書多数。『ノーノー・ボーイ』の新訳を旬報社から昨年12月に出版。