日系アメリカ人市民同盟元会長で人権活動家のフィル・ハヤサカ氏が、9月3日に94歳で他界した。
ハヤサカ氏は、1963年にシアトル市人権委員会の初代ディレクターとなり、非白人のマイノリティー市民として初めて市長顧問委員会を率いた。ハヤサカ氏の働きでシアトル市は同年、アジア系及び黒人市民への住宅販売を制限する不動産売買慣行を禁止する市条例を制定。同条例はアメリカ国内他都市の模範となった。またハヤサカ氏は、アジア・パシフィック・アメリカン・フォー・シビック・エンパワーメント (APACE)を共同創始するなど、民族グループを超えたアジア系アメリカ人としてのアドボカシーに取り組み、1972年にはワシントン州アジア太平洋問題委員会(CAPAA)の初代議長としても務めた。ジャクソン・ストリート・コミュニティー・カウンシル会長も務め、アジア系市民と黒人市民の橋渡しをしながら、歴史的にマイノリティー住民が多く住む同地区のコミュニティー開発に尽力した。
1926年に日系二世としてシアトル市内で誕生したハヤサカ氏はビーコンヒルで育ち、フランクリン高校に通っていた時に第二次世界大戦が開戦。戦時中は、家族と共にミニドカ収容所で生活した。