砂漠に広がる娯楽の街、ラスベガス。訪れるのは10年ぶりだろうか。まだ雨の時期を抜け出せずにいるシアトルに対し、炎天下の華氏100度。メモリアルデーの週末だったこともあるが、空港やメイン通りの混雑ぶりには驚かされた。
仕事の関係で休暇とは程遠い滞在だったが、時間の合間を見て日系史に関係する場所を調べてみた。1910年代に同地へ移住し、農場開拓などコミュニティー貢献を果たしたトミヤス(富安)・ファミリーの名前が見つかった。
一世の富安米馬氏については、全米日系博物館が運営するウェブサイト「ディスカバーニッケイ」でもネバダ州の日系人として紹介されている。熊本県出身で1899年に渡米。カリフォルニア州で農業を営んだ後、ラスベガスに新たな農業の可能性を見出して1915年に移住している。背景にはカリフォルニア州で成立した排日につながる土地法の成立があったようだ。
ラスベガスの地元メディアによると、砂漠の荒野で苦闘を続けた末に農作物の栽培周期を独力で確立。ラスベガスから近いフーバーダムの事業にも貢献し、建設に関わる人々へ地元で収穫されたトマト、アスパラガス、スイカ、メロンといった野菜、果物を送り届けたという。ラスベガス郊外に水源を掘り当て、地域開発に大きな一助を果たしたそうだ。
トミヤス・ファミリーのゆかりの地は現在も残る。空港の南側を走る大通りを東に少し走ると、トミヤス・レーンと呼ばれる道路の起点がある。賑やかな商業区から南へ1マイルほど続く閑静な道路。両側にはセキュリティーのついた高級住宅が建ち並ぶ。車を走らせると、緑も豊富で喧騒のラスベガスを忘れるかのように木々が優しく影を広げてくれた。
この道路から北東に向かった近くの小学校にも、同地での足跡を讃えてトミヤス・ファミリーの名前が冠されている。
米国各地で活躍し、足跡を残してきた日系人の存在は各地に至る。連日猛暑の熱を浴びるたび、灼熱の地も生き抜いた先人の力に頭が下がる思いだった。
(佐々木 志峰)