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メキシコ

一瞬どこかに似ていると思った。ビルの間を高速道路がうねって走る。高架の高さとガードレールの低さに少し身が縮こまったが、車はスピードを落とすことはない。筆者の記憶に残る、今や一時代前となる日本の首都高速道路のようだった。

仕事の関係でメキシコシティを訪れた。観光する時間もほとんどなく、宿泊先と仕事場の往復が基本。接していた相手は確実に富裕層だろう。実際のメキシコに触れたわけではないが、それでも車窓から見える街の様子から感じ取れるものもあった。

別の場所では高速道路の脇を電車が走り、多くの人がホームで通勤用の電車を待っていた。バスにも長い列がつくられている。その一方で、制限速度80キロ(50マイル)の道路がなかなか進まない。朝夕のラッシュ時の交通事情の悪さは相当なものだそうだ。

米国生活慣れしているため、車道が狭く感じた。道も東西南北、縦横という形で作られていない。道路の合流ではすべての車がぎりぎりのスペースで走り抜ける。意思の疎通がうまくいかなければ、いつぶつかってもおかしくなかった。

「これだと事故も多いのでは」――。そう思ってスマートホンで状況を見ると、案の定、街のあちこちで事故が起きていることが分かった。街の主要道路ほぼすべてが渋滞を示す赤色で埋まっていた。

世界有数の大都市。メキシコシティ周辺の都市圏人口は2100万人を超えるという。運転手の話によると、人口は今も増え続けているらしい。

前述のように拠点とした場所はあくまでも富裕層の生活地帯。通り抜ける地区、地区の路地を見れば、貧富の差も感じられる。

それでも触れ合った人々の親切さには心が温まった。前述の運転手はコロラドに数年住んでいたという。年配だが、いつか日本に行きたいと口にした。太平洋を挟んだ遠い国に根付いた文化、特に人の振る舞いや態度がどのように生まれたのか興味を示していた。

あくまで数日。メキシコのすべてを見たわけではないが、この国とはうまくやっていけるのではないか。そんな感覚を持った。

(佐々木 志峰)

佐々木志峰
オレゴン大学でジャーナリズムを学んだ後、2005年に北米報知入社。2010年から2017年にかけて北米報知編集長を務める。現在も北米報知へ「一石」執筆を続ける。