オーバン市議会のジョン・ホルマン議員は自分が育った「多様な文化コミュニティー」を讃える。日系の親友の祖母から箸の使い方を教わり、ゲームでは日本語で「1から5」まで呼んだ。炊飯器を買った先の日系商店から習った米の炊き方は現在も守り続けているという。23日に行われる白河本願寺仏教会での盆踊りは毎年参加、「仲間たちの再会の場」と笑顔を見せる。
日系農家が多く移り住んだグリーンリバーバレー。時代を経て、当時の名残はほとんど残らないが、今なお人々の心の中には強く残り続けている。
ニーリー・マンションが建つオーバン郊外には、今では主要交通路の1つとなる州道18号があり、車の走る音が響く。フランク・ホリさん(89)によると、1930年代当時は音といえば近くを走る汽車のみだったという。
近くを流れるグリーンリバーで釣りを楽しんだ日々。風呂は、一日の仕事を終えた両親ら家族の毎日の憩いとなった。火を焚き、「熱い風呂に入るのが好きでした」と振り返る。ニーリー・マンションには4歳から10歳まで住んだ。風呂場は父親のシゲイチ氏が建設した。
日系農家は、こうした風呂施設を各自で建てたという。ファイフ出身のチョウイチ・シミズさんは、規模は小さかったが、風呂は両親が一日の疲れを取る時間として楽しみにしていたという。「自分には熱すぎてすぐに出ていましたが」と笑いながら振り返る。
内装と規模において、ホリ風呂場は珍しく斬新だった。居住所となったニーリー・マンションの下水設備が原因だが、裏庭に置かれた施設には充実した洗濯室に加え、水洗式トイレがあった。規模も通常より大きめだったようだ。
展示コーナーとして、ニーリー・マンションへの訪問者に当時の生活や日本文化を紹介する施設として関係者は期待するが、「当時の日系農家の生活や文化紹介」という部分ではややモダンな建物といえるかもしれない。
だが1年半にわたる修復工事のプロジェクトの中で、日系農家が日本から持ち込んだ文化の一面が明らかになったのは事実だろう。またホリ風呂場は「キング郡で現存する唯一の野外風呂場」としていたが、プロジェクト関係者は最近、別にも同様の施設が現存することを耳にしたという。様々な形で、今後も知られざる当地日系史の一端が紹介されることを期待したい。
(佐々木志峰)