冬のエリオット湾に浮かぶ小舟の数々と、大物を求め糸を垂れる釣り師たち。その周りには多くのストーリーが存在する。
地元日系釣り同好会 「天狗倶楽部」の再会行事が 18 日、インターナショナル・ディストリクトの和み茶室で開かれた。約 70 人が参加した当日は、約 50 年にわたり同会に携わった田原優さんによる天狗倶楽部の歴史本『天狗― 天狗過去帳』の上梓を祝うイベントとなった。
移民初期、釣りの時期で賑わう季節、ピュージェット湾地域では、日系人にボートを貸す業者はほとんどいなかった。そのため、時期をずらした冬に日系人たちで鮭釣り大会を開催するようになったのが、天狗倶楽部の始まりだ。1920年代には地元日系釣り具店協会が中心となり、鮭釣り大会を開催。釣りへの熱い思いが、天狗倶楽部となり、現在まで続く。現存する地元鮭釣り大会として最長を誇る。
1941年の真珠湾攻撃の日。当地は日曜日で、当然のことながら、天狗倶楽部のメンバーは海にあった。
現行の天狗倶楽部は1946年冬に発足。海から遠く離れた砂漠の地から戻った日系釣り愛好家が、何よりも望んだ行事だっただろう。一回開催では終わらず、数カ月後には第二回大会を開くほど盛況だったという。
サーモン釣りの釣法の1つとして始められた「ムーチング」を伝統として残し続け、1970年代には、当地で人気釣りアクティビティーとなったイカ釣りが天狗倶楽部会員によって始められた。 同会は山に向かう松茸狩りの大会も運営。鮭釣り後の埠頭で食べるラーメンには、しばしば取れたての松茸が加えられたという。
イベント当日、天狗倶楽部の盾や優勝杯、魚拓などに加え、脇のテーブルには、1946年大会からの記録帳が置かれた。さまざまな日系関係者の名前が入る貴重な資料だ。
祖父が日系釣り道具店経営者の故浅場金蔵さんで、自身も天狗倶楽部の長年の会員であるロン・マミヤさんは、「日系社会の多くの歴史は天狗倶楽部から学ぶことができました」と語る。
昨年は黒口鮭の数量により大会中止を余儀なくされた。減少する釣果に対し、釣法のルー ル変更を求める声もあるという。難しい時代だが、発足時からコミュ ニティーを築き上げてきた団結の思いを変わらずに残し続けてほしい。
(佐々木 志峰)