暴徒も現れ、例年のごとく騒ぎを起こしたメーデーは、従来は「夏の始まり」を告げる日という。晴れても肌寒い日が続いてきたが、長雨も終わり、ようやく夏の入り口を迎えたようだ。晴天に恵まれた週末は「夏」の始まりを楽しむべく賑わいを見せ、当地からはオリンピック半島へ向かうフェリーも混雑し始めるだろう。
3月末。日系人強制退去の75周年関連行事「二度とないように」のイベントがベインブリッジ島で行われた。1日行事だった時間の合間、日系関係者ゆかりの地を尋ねてみた。
移動してみると意外と広いベインブリッジ島には、各所に日系の足跡が残されている。コミュニティーや地域への貢献を讃え、関係者の名前が建物や道路に冠されている。
コウラ・ロードにサカイ小学校――。サカイ小学校の入り口には名前と一緒に家紋が並び、駐車場脇には庭園がある。周りには桜が並木となり、春の訪れを伝えていた。すぐとなりの中学校は、こうした日系人を支援し続けたベインブリッジ・レビュー紙の編集、発行人を務めたウッドワード一家の名前を冠している。島の南には、ポートブレークリーの製材所近くに構えられた日系村「ヤマ」の史跡も残る。
当地出身のリリー・コダマさんはベインブリッジ島のコミュニティーを船に例え、「皆が一緒に協力しなければ沈んでしまう」と語る。一連の日系関係の史跡をみると、人種問題を含め様々な問題に直面しても、そのたびに乗り越えてきた島のコミュニティーの絆を見ることができる。
島の西側に位置する園芸店「ベインブリッジガーデン」はハルイ一家による創業。日本から持ち込まれた赤松の種が植えられ、一家、そしてコミュニティーのヘリテージとして立派に育っている。この赤松の後継種には、ノースウエストの風土に合わせた新種「ハルイ」が開発された。ベインブリッジ島をはじめ、地元各所で今後多く目にすることになるだろう。
5月はアジア太平洋系米国人ヘリテージ月間。天候も良くなり、外出機会が増える。各地に残る日本のヘリテージや歴史的つながりに触れるひと時も悪くないだろう。
(佐々木 志峰)