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大村総領事離任

文:佐々木 志峰

大村昌弘総領事が離任する。3月末にコミュニティーに伝えられ、4月9日に日系コミュニティーネットワーク(NCN)による地元日系17団体が主催する送別会が開かれた。21日にはシアトル桜祭・日本文化祭の開会レセプションと合わせ、総領事公邸での離任レセプションが開かれている。
次の任務は通例通り、外務省から発表されるだろう。それまでは日本に2カ月ほど帰国することになるという。近年の総領事として、在任期間はもっとも長く3年半以上になった。その分、地元関係者と深い信頼関係を構築できたに違いない。

「着任以来、日本、総領事館と日系社会との関係をどれだけ近くできるかを考えてきました」と明かす大村総領事。NCNの送別会こそが、お互いの努力と信頼の結果が形になったといえるのではないか。 離任を前に総領事が話してくれた当地での思い出話が印象深い。最も意義深いものとして、二世復員軍人会(NVC)による伝統恒例行事、メモリアルデーの戦没者追悼式があるという。大村総領事は、第二次世界大戦終戦70年目の2015年に基調演説の依頼を受けてのものだ。

同行事はボランティア公園近くレイクビュー墓地内にある二世戦没者追悼碑で開かれる。これまで歴代総領事は毎年招待され、大村昌弘総領事も日本政府を代表して慰霊碑に献花してきた。

総領事によると、式典での席位置は、当初はテントに覆われた一般の「家族席」の最前列だったという。だが基調演説の翌年、着席位置は、地元政界関係者が連なる来賓席に変わっていた。

日系社会、復員軍人の中で、自身、あるいは日本に対する見方が何か変わったのではないか。大村総領事が最も大きな経験、達成感として受け止めた出来事だったという。筆者も当日の式典に足を運んだが、当日話した知人の間では、この演説は評判が高かったことを覚えている。

本紙で取り上げた当日の式典リポートは「宝物」として日本に持ち帰ってもらえるという。本紙、筆者もその「努力」の一助となれたことを誇りとし、コミュニティーの良好な関係が深化し続けていくよう期待したい。

オレゴン大学でジャーナリズムを学んだ後、2005年に北米報知入社。2010年から2017年にかけて北米報知編集長を務める。現在も北米報知へ「一石」執筆を続ける。