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第69回  鈍感ですみません…

筆者:小阪裕司

今、コロナ感染予防対策として奨励されている手指消毒。特にお店では、入り口に消毒液のボトルやセンサー付きの機器が置いてあることが当たり前となった。しかし、センサー付き機器の場合、センサーの感度がよくなく、軽く手を差し出しただけでは消毒液が出ないことがしばしばある。何度か根気よく行うとそのうち出てくるのだが、見ていると、なかには一度でやめてしまい、そのまま消毒せずに入店する方もいらっしゃる。あなたのお店ではどうだろうか?

あるワクワク系(このコラムでお伝えしている商売の理論と実践手法を、われわれはそう呼んでいる)の靴店でも同じ悩みがあった。「すみません。反応が悪いので、もう少し手を近づけてみてください」などと声掛けをしていたが、お客さんの方も「やり方が悪くて出ないね」などと、店にもちょっと残念な雰囲気がただよってしまう。そこで、その靴店では、機器に小さな張り紙をした。そこに書いたのは次の文言だ。「鈍感ですみませんノ。黒いセンサーに近づき数回消毒液をおかけください」。

こう語りかけるだけで雰囲気は変わる。しかし彼らは、まだ足りない、もっとお客さんが笑顔になるような書き方はないかと考え、もうひとひねりした。先ほどの「鈍感ですみませんノ」に続けて、こう書き加えたのだ。「一発で出たら『大吉!』。きっと良いことが待ってます。コツは黒いセンサーに手を近づけることです。幸運を祈ってます」。

すると、店内の雰囲気は一変した。「やった!大吉だ!」と叫ぶ人、「一発でうまくいった!」と喜ぶ人など多数。きっちり手指消毒してもらえるだけでなく、笑みがこぼれ、会話のきっかけにもなり、店の雰囲気がいい雰囲気になったという。

ご存じの方もいらっしゃると思うが、「ナッジ理論」というものがある。ナッジ理論とは、表現を改善することで人の行動が変わることなどを経済理論化したもので、海外でも様々な事例がある。この理論の提唱者であるリチャード・セイラー氏が2017年にノーベル経済学賞を受賞したほどのものだが、今回の靴店主の実践はまさにそれだ。こうするだけで人の行動は変わるのだから、社会課題になっている手指消毒の徹底も、まさに個々の現場で、このようなナッジ理論的な工夫をすればよい。

靴店主の実践がそれ以上のものであるのは、「行動が変わる」上に、「笑みがこぼれる」状態までをも作り出したことだ。お客さんの行動を変えるだけでなく、「もっとお客さんが笑顔になるように」と考えて実現する。このコロナ禍でも、行くだけで笑顔がこぼれるものがある。そういうところに、ファンが集う店ができていくのである。

山口大学人文学部卒業後、大手小売業、広告代理店を経て、1992年オラクルひと・しくみ研究所を設立。「人の心と行動の科学」を基にした独自のビジネス理論を研究・開発し、2000年からは、その実践企業の会を主宰。現在、全都道府県および北米から千数百社が集う。