お恥ずかしい限りだが、本紙の業務の関係で、オレゴン取材の記事が遅れ、今週ようやく1本出すことができた。来週以降はまとめて掲載していきたい。 ポートトランドでの取材で関係者から多く聞いたのが、ポートランドがシアトルより小さな街だという言葉だった。だが、そうした小さな街なりに様々なユニークなコミュニティーが誕生しているようだ。
企業規模ではシアトルに分があるのは言うまでもない。だが、ポートランドにも地域特有の企業がある。スポーツでいえば、ナイキであり、コロンビアの米国本社、そこに関連し、広告会社ワイデン・アンド・ケネディ社があり、独自の創造性ある社会を作り上げていると、オレゴン日米協会の黒崎美生会長は指摘している。
日系社会にもユニークな点が多々見られる。オレゴン日系レガシーセンターは、日系史の保存、紹介に尽力しており、そこを中心に様々な活動や成果が生まれているように見受けられ、シアトルでも大いに参考になるものを発見できる。
最近では3月28 日、日系人収容所に反対、米国政府と裁判を争い、昨年大統領自由勲章を受けた故ミノル・ヤスイ氏の足跡を辿るイベントが開かれた。1942年の同日は、第二次世界大戦下で日系人対象に出されていた夜間外出令に同氏が反対し、街中を歩き、地元警察署に出頭した日でもある。また特に興味深いものにアイフォンのみの対応アプリだが、ポートランドの旧日本町と周辺の日系関連史跡の紹介を行うウォーキングマップも発表している。
ポートランド北端のコンベンションセンターは、日系人強制退去後の集合所となった跡地に建てられており、大きな鳥居の関連建築物がある。
一方でシアトル地域同様でコミュニティーの「離散」も見受けられる。ポートランドを二分するウィラメット川の存在は、当地でいえばレイクワシントンのような存在だろう。ビーバートン方面からも森林公園の存在でアクセス路は限られる。旧日本町のあった「オールドタウン」と、新たなコミュニティーの活動地域とのアクセスは、当地におけるシアトルとイーストサイドなどの構図に近い。いずれにしても今後数本記事掲載を予定しているが、ノースウエストにおける構図、また日系史や日本とのつながりを学ぶ有意義な取材だったとお伝えしたい。
(佐々木 志峰)