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希望の翼、三菱航空機MRJ 今年モーゼスレイクで試験飛行

シアトル日本商工会主催のMRJ初飛行記念セミナーが11日、ベルビューカレッジで開催された。米国三菱航空機シアトルエンジニアリングセンターの本田健一郎所長が、州内モーゼスレイクでの試験飛行が迫る三菱リージョナルジェット(MRJ)プロジェクトの概要、今後の見通しなどを説明した。

MRJは三菱航空機が開発中の100席以下の小型旅客機で、初の国産ジェット旅客機となる。昨年11月に初飛行に成功し、今年秋から2017年中を通してモーゼスレイクでの試験飛行を予定、2018年内に航空会社への納入が開始される見込みだ。

100席以下の旅客機、通称リージョナルジェット( RJ ) は今後20年で5000機以上の新規需要が見込まれている。現在MRJは日本、北米各航空会社から407機の受注を獲得しており、三菱航空機関係者は5000機の需要のうちの半分を獲得したいと意気込んでいる。

この目標は決して大げさなものではなく、MRJは達成できるだけの可能性を持っている。

競合を引き離す MRJの設計美

「本当に美しい機体だと思いませんか」――。本田所長が講演中、何度も繰り返した言葉だ。そのスマートかつシャープなフォルムは、ずんぐりむっくりとした旅客機のイメージとは違い、どこか日本の洗練された美意識を感じさせる。

ボンバルディア社、エンブラエル社などの競合RJは、既存機を再設計したものや、エンジンを環境負荷の低いものに積み替えただけのものだ。最新鋭の搭載エンジンに最適化された空力フォルムを持つMRJは競合機に比べ、燃費、騒音などの面で大きな優位性を持つ。

従来の同サイズの旅客機より20%の燃費向上、40%の騒音低減を成し遂げることができるのも美しい機体であるからこそだ。

機内にも競合RJにない設計美が詰まっている。基準より広く取り、視界を広げたコックピットの窓は安全性を大きく向上させる。客席上の荷物収納スペースは従来の機内持ち込み規定サイズより大きく作られ、乗客は今まで以上のサイズを機内に持ち込めることになる。貨物室からの積み下ろし時間が減少し、結果的に運行の効率化に大きく寄与する。

ベルビューカレッジで開かれたシアトル日本商工会の新春セミナー。 写真 = 保科 達郎

開発遅延の対価は

多くの優位性を持つMRJだが大きな困難にも直面している。開発の遅れだ。

当初の計画より5年遅れているMRJ計画は、当初の「競合が少ないR J 市場」への参入に失敗した。RJ市場にはボンバルディアCR J、エンブラエルE-Jet など、世界の競合が既に定期路線に機体を飛ばしており、M R J 初号機納入が予定される2 0 1 8 年には、一番のライバルといえるエンブラエルE-Jet のリエンジンタイプE2が納入される予定だ。すでに受注を得ている北米航空会社内でも、E-Jet E2 との両天秤にかけている所もあるという。

これ以上開発が遅れ、E-Jet E2 以降の納入となった場合、受注が減る可能性もある。既存機を再設計しただけのRJの場合、パイロットの訓練などの面で大きな強みを抱えており、それだけ早く路線に投入できるというメリットがある。全てが初のMRJ導入の遅れは、この点でも航空会社側から敬遠される可能性がある。安全性を妥協すべきでない航空機開発において急ぎは不要だが、これ以上の遅れはMRJの性能面での優位を持ってしても厳しいところまできている。

日本航空機産業の未来へ

MRJは現在開発中の90席のMRJ90以外にも70席程度のMRJ70
、そして将来的には100席クラスのファミリー機の開発も検討が行われる予定だ。たとえ市場投入に遅れたとしても、MRJの性能優位性、ユーザビリティの高さから市場投入後に多くの受注を獲得できる可能性は十分にある。

一般に航空機開発後進国と捉えられがちな日本であるが、国内向けの川崎重工のC―2輸送機、P―1哨戒機、新明和工業のUS―2飛行艇など世界最高峰の性能を持つ航空機は多数存在する。世界の空を相手にするMRJはハイレベルな日本の航空機産業を世界に知らしめる広告塔となるだけでなく、日本の航空機産業を拡大させる原動力を担っている。

国産旅客機YS―11が空を飛んで半世紀以上、初のジェット旅客機となるMRJはまさに日本のモノづくりへの希望だ。YS―11は生産機数180機と商業的に成功したとはいえない。しかしこのM R J に不足はない。この翼には惜しみない技術と、日本航空機産業の未来への希望が込められている。

(保科 達郎)

N.A.P. Staff
北米報知は、ワシントン州シアトルで英語及び日本語で地元シアトルの時事ニュースや日系コミュニティーの話題を発信する新聞。1902年に創刊した「北米時事 (North American Times)」を前身とし、第二次世界大戦後に強制収容から引き上げた日系アメリカ人によって「北米報知(North American Post)」として再刊された。現存する邦字新聞として北米最古の歴史を誇る。1950年以前の記事は、ワシントン大学と北米報知財団との共同プロジェクトからデジタル化され、デジタル・アーカイブとして閲覧が可能(https://content.lib.washington.edu/nikkeiweb/index.html)。