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ケイ・ヒライさん 自叙伝『ケイコズジャーニー』 7月に一般公開イベント開催

昨年に自叙伝Keiko’s Journey』を出版した当地日系関係者でヘアサロン「スタジオ904」の経営者ケイ・ヒライさんが14日、シアトル日本人長老教会で諸作読み語りを有志とともに行った。日本で過ごした第二次世界大戦後期から戦後の生活、11歳で米国に移住してくるまでのストーリーが幼少期のヒライさん(ケイコ)の視点を中心に綴られている。

当日は教会会員、関係者を中心とした40人を前に、ナレーション、ケイコの祖父、母フジエ、ケイコ、親戚の叔母役などを務める5人が出演。17章あるエピソードから最初の2章の読み聞かせを行った。ケイコ役はヒライさん自身が務める。

一章『Siren(試練)』は九州、久留米で遭遇した空襲、第二章の『Egg()』は戦後、食料を分けてもらうために親戚のもとに訪れたときの様子がそれぞれ描かれている。観客の1人は「親戚からも食料を分けてもらえず、当時の生活の苦しさを伺うことができた」と話した。

読み聞かせの中にはヒライさんと祖父がよく一緒に歌っていたという日本の童謡『雀の学校』を歌うシーンが数回ある。ヒライさんにとって日本での生活、祖父との思い出を呼び起こす特に思い入れのある歌という。著書の中でも何度か歌が登場するシーンがあるが、ヒライさん本人の歌を間近で聞いた観客の中からは、口をそろえて歌う姿、中には感極まって涙をぬぐう姿も見られた。

読み聞かせ後には、自身さんが育った小倉が原爆投下の目的地だったことから、「自分が被爆者になっていたかもしれない」とヒライさんは振り返った。

第二次世界大戦後、米軍基地で通訳として働いていた母親フジエさんは、近隣の主婦から唾を吐かれたという。「『日本人女性がそんなことをしている姿は見たことがない』と言われるんです。それでも母親は本当に唾をかけられました」――

日本で育ちながら、日系人という理由から「敵」として見られ、受けてきた数々の差別。だが、ヒライさんは日本、米国の2国で過ごした経験について感謝しているという。「日本の学生生活はとても大変だったけれど、勤勉になることを教わりました」

読み語りは今後も数回を予定。7月16日午後1時からワ州日本文化会館、同30日午後7時からNVC記念会館で開かれる。

(大間千奈美)

N.A.P. Staff
北米報知は、ワシントン州シアトルで英語及び日本語で地元シアトルの時事ニュースや日系コミュニティーの話題を発信する新聞。1902年に創刊した「北米時事 (North American Times)」を前身とし、第二次世界大戦後に強制収容から引き上げた日系アメリカ人によって「北米報知(North American Post)」として再刊された。現存する邦字新聞として北米最古の歴史を誇る。1950年以前の記事は、ワシントン大学と北米報知財団との共同プロジェクトからデジタル化され、デジタル・アーカイブとして閲覧が可能(https://content.lib.washington.edu/nikkeiweb/index.html)。