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インタビュー インターリム・コミュニティー開発機構 レスリー・モリシタさん

シアトルのインターナショナル・ディストリクトで活動する非営利団体、インターリム・コミュニティー開発機構(以下、インターリム)で低所得者向け住宅の不動産開発を担うレスリー・モリシタさんに、再開発により同地区が直面する人口移動問題などについて話を聞きました。

取材:ブルース・ラトリッジ 文:室橋美佐

再開発の波にのまれるコミュニティー

ハイテク企業が集まり、経済も人口も急成長するシアトル。不動産価格は上昇を続け、シアトル地域の一世帯住宅価格における年間上昇率は13.2%(2017年)で全米一となっている。しかし、急成長ゆえの都市問題も浮かび上がる。そのひとつが、ジェントリフィケーション(Gentrification)だ。

ジェントリフィケーションとは、都市部の再開発と地価高騰で、店舗や住民が立ち退きを余儀なくされ、そこにあったコミュニティーや文化が失われる現象のこと。富裕層が流入して低所得者層が押し出されるケースが多く、ディスプレイスメント(Displacement)とも呼ばれ、2000年前後から都市部の再開発が活発化してきたアメリカの多くの都市で 問題視されている。80年代バブル期の日本でも、オフィス開発や高層マンション建設による地価高騰で、都内の下町コミュニティーが崩壊する現象が問題になった。しかし、80年代当時の日本と様相が違うのは、そこに激しい貧富格差や人種・民族問題も絡んでくることだ。

「ここインターナショナル・ディストリクトは、アジア系住民とアフリカ系住民が居住を許されていた地区でした。隣のセントラル・ディストリクトもそうです」と、レスリーさん。60年代の公民権運動以前まで存在していたレッドライニング(Redlining)と呼ばれる非白人住民を一部の区画に押し込める市条例や不動産慣習などで、非白人住民は歴史的に同地区で生活してきた。戦前に日本町を形成した日系移民たちもそうだ。現在でも、インターナショナル・ディストリクト住民の多くがアジア系を中心とする非白人層。低所得高齢者や、近年になって東南アジアなどから移民・難民としてやってきた家族が、安価な賃貸アパートに住んでいる。家族経営の小さな店舗も軒を連ねる。古いビルの中にある安アパートや小さな貸店舗の存在が、そうしたインターナショナル・ディストリクトのコミュニティーをつくってきた。しかし、近年のシアトル市内の再開発ブームと地価高騰の波はインターナショナル・ディストリクトにまでも押し寄せており、コミュニティーの住民や店舗経営者などはディスプレイスメントへの不安を募らせている。

インターナショナル・ディストリクトでのMHA制定を決議する市議会 と、そこで意見陳述をするレスリーさん。「移住直後で生活基盤が乏しいマ イノリティー移民を受け入れ続けてきたのがインターナショナル・ディストリクトです」と、地区の歴史と文化への理解を市議へ訴えた

シアトル市の住宅政策は十分か

シアトル市は、住宅価格高騰に対応するために、2016年からMHA(Mandatory Housing Affordability)条例をサウス・レイク・ユニオンやユニバーシティー・ディストリクトなど各地区で定めている。MHAは、新規住宅開発について全戸数の一定割合以上の低所得者向け住宅設置を義務付ける条例だ。低所得者向け住宅の確保が目的だが、一方で、条件を満たせばマンション開発の高さ制限を緩めて開発事業主の利得を確保する側面もあり、それによって住宅供給を促進する狙いもある。

インターナショナル・ディストリクトでも2017年8月にMHAが制定され、インターリムは制定前に市議会と住民の間に立って、同地区におけるMHAの具体的な内容の交渉を行った。「住民や店舗経営者たちのところへスタッフが出向いて、意見を聞き取りしました。誰もがディスプレイスメントを危惧していて、MHAの制定がその解決につながるとは考えていませんでした」

レスリーさんは、ひとつの例を挙げた。「かつて移民労働者向けホテルだった古い建物が新しい所有者へ売却されたんです。近年は安アパートとして使われていた上階には、低所得高齢者たちが住んでいました。賃貸料は月200ドルほどのとても安いもの。住居としては粗悪な状態でも、その建物は彼らの長年の住まいでした」。売却後、建物の修繕工事と賃料値上げで住人は退去を余儀なくされ、住み慣れたインターナショナル・ディストリクトから離れることになった。

「インターリムの住居担当スタッフが、彼らの新居探しをサポートしました。売却された建物は歴史保護区画内にあるので、MHAの対象ではありません。それでも、ディスプレイスメントは起こりました。市内の急激な地価高騰で、(古いビルが取り壊されることのない)歴史保護区画内でも、店舗や賃貸アパートの賃料がどんどん上がっています」と、レスリーさんは訴える。

コミュニティーの代弁者に

「パナマ・ホテルの横にある駐車場の土地が売りに出されました。インターリムは(そこに低所得者向け住宅を開発するため)土地を買収しようとしましたが、失敗に終わりました。開発ブームの中で、とにかく(土地購入の)競争が激化しています」。その土地を落札した開発業者は、高層ホテルを建設する予定だという。「これから次々に起ころうとしている街の変化を考えると頭が爆発しそう」と、レスリーさんは不安を隠さない。

それでも、歴史保護区画にある日本町やチャイナタウンの古い建物は、市条例で取り壊しが制限されている。一方で、ベトナム系移民が経営するレストランや小店舗が集まるリトル・サイゴン周辺は、多くの建物が高層ビルに再開発される可能性が高い。「リトル・サイゴンは、地区の東側(日本町やチャイナタウン周辺)に比べると歴史的な建物は少なく、古い街並みが残っているわけではありません。しかし、とても貴重な(ベトナム系移民の)歴史と文化があるんです」。再開発が押し寄せて店舗賃貸料が高騰すれば、リトル・サイゴンが瞬く間に失われる可能性がある。「小店舗の経営者たちは日々の営業に精一杯で、興味がないわけではないけれど、とにかく忙しくてコミュニティーの問題に取り組む時間がないんです」。インターリムは、そうした人々の声になる役割を担っている。

アンクル・ボブの精神とインターリムの活動

インターリムが創立されたのは1969年。1965年にI-5 建設でインターナショナル・ディストリクトが分断され、1968年には現在のセーフコ・フィールド周辺にキングドーム・スタジアム建設が決定したことで、インターナショナル・ディストリクト存続への危惧が高まっていた時期だ。アジア系移民2世の若者たちが、それまで日系、中華系、フィリピン系と別れていた民族グループを「アジアン・アメリカン」としてまとめることで市政への発言力を高め、キングドーム反対運動を展開した。その運動の中心になった若者たちがインターナショナル・ディストリクトの保護と発展を目的に集まったのがインターリムだ。

「インターリムのルーツは、コミュニティーをまとめることにあります。この地区の歴史を築いてきた人々が、安心して暮らし続けられるようにしなくてはなりません」と、レスリーさん。「アンクル・ボブは(一昨年に)亡くなりましたが、最近の状況の中で、創立当時の精神をスタッフの間でも話す機会が増えました」。アンクル・ボブとは、インターリム創立メンバーのひとり、ボブ・サントス氏のことだ。フィリピン系アメリカ人のサントス氏は、キングドーム反対運動のリーダー的存在だった。スタジアム建設がインターナショナル・ディストリクトへ与える悪影響を抑えるための地区保護条例を市に求める活動など、コミュニティーの声をまとめてきた。その後もインターリム代表を務め、皆から敬愛を集めていた。「会議室にはアンクル・ボブの大きな写真が飾ってあって、『ボブおじさんが見てるぞ』って言われ ているようで、いつも背中を押されます」

(キングドーム反対運動以降の)インターリムは、ファストフード・チェーン店の進出など街の方向性に大きくかかわるケースを除き、特定の不動産開発に反対する活動はしてこなかった。しかし、再開発の波が押し寄せてきた近年、より積極的に不動産開発プロジェクトの一つひとつに対して声を上げているという。「地区内の再開発を阻害するつもりはないんです。大手不動産ディベロッパーでも、話し合えば、何かコミュニティーのためになる要素を開発の中に盛り込んでくれるかもしれない。プロジェクト段階で話し合う中で、ディスプレイスメントへの問題意識なども共有し合って、彼らの営利目的とコミュニティー志向とが同時進行するように調整していけるはずです」。シアトル市では、不動産開発に対して住民が事業主へ意見をして開発内容の調整を求められる「デザイン・レビュー」のシステムが整っているため、開発事業主もこうしたコミュニティーの声に耳を傾ける必要がある。

そうした活動の一方で、地区内の不動産はコミュニティー自体でも管理すべきという考えから、インターリムも低所得者向け住宅の不動産開発と運営を行う。これまでに6つの賃貸住宅ビルを地区内に開発し、低所得者や高齢者向けの住宅提供サービスを運営している。最近できたヒラバヤシ・プレースや日本町テラス、NPホテルなどがそうだ。アメリカの都市にはインターリムのように低所得者・マイノリティー住民が集まる地区を代表する非営利のコミュニティー団体が多くあるが、自ら住宅開発と運営を行う組織は珍しい。「昨夏はリトル・サイゴンでも物件を取得できました。リトル・サイゴンの人たちとよく話し合って、ディスプレイスメントを防ぐために、どのような形で住宅開発をしていくのがベストか、一緒に決めていきたいと思います」

MHA制定前にインターリム主催で開催したタウンホール・ミーティングには、シアトル市議全9人のうち5人が出席。多くの住民や 関係者が集まり、白熱した議論が交わされた(写真:Nick Turner)

日系人のルーツに誇り

「もともと文化人類学を勉強していて、いろいろな土地 でさまざまな生活様式が形成されることに興味がありました。旅行も好きだし異文化に触れるのも好き。だから、建築家になって海外を行き来したいなんて思っていました」と、話すレスリーさん。インターリムとの出合いは、大学院生としてワシントン大学で建築学を勉強していた時だ。「建築学はヨーロッパ建築が中心。建築史のクラスでも、内容はヨーロッパ史だけ。特に当時は、教授も、カリキュラムの内容も『白人』ばかりで……」。そんな中、マイノリティー学生が集まり、コミュニティーに根付いて活動する団体を招いて講義会を催した。その団体のひとつがインターリムだった。アンクル・ボブがスライドショーで説明する、近隣住民が協力して運営するデニー・ウー・ガーデンのプロジェクトに、レスリーさんはすっかり引き付けられた。サントス氏に話しかけて「私も参加して何かできないか」と尋ねると、ガーデンに必要な物置小屋を作って欲しいと頼まれた。「そのまま、インターリムから離れられずにいます」

レスリーさんの両親と祖父母は、日系アメリカ人として第2次世界大戦中の強制収容所生活を送った。レスリーさんが子どもの頃は、そんな家族の歴史について両親と話すことは少なかった。変化があったのは、レスリーさんに双子の娘たちが生まれてからだ。「この子たちに、自分たちが何者かを教えなきゃと思ったんです。祖父母たちがどのような歴史を経てきたのかを学んで、それを誇りに思って欲しい」。子どもたちの学校へレスリーさんの母親が招かれて、強制収容所での経験を話すこともあった。レスリーさんがプロジェクト・マネジャーを務めたヒラバヤシ・プレースの名称は、日系人強制収容に反対運動を行い、のちに社会学者として活躍し、大統領自由勲章も授与されたゴードン・ヒラバヤシ氏の名前が由来だ。「ウィング・ルーク博物館とも協力をして、ヒラバヤシ・プレース内に日系人の歴史展示スペースをつくっています」。そこには、レスリーさんの娘さんが折り紙を使って創作した、ゴードン・ヒラバヤシ氏の肖像アートも飾られている。

「昨夏はMHA制定に絡んで、ディスプレイスメントに強く反対するコミュニティーの声がまとまりました。みんな 本当にインターナショナル・ディストリクトを愛しています」と、ほほ笑むレスリーさん。これからも忙しい日々が続きそうだ。

ヒラバヤシ・プレース内、日系人の歴史展示スペースにあ る、レスリーさんの娘さんが折り紙で創作したゴードン・ヒ ラバヤシ氏の肖像アートの前にて

レスリー・モリシタ(Leslie Morishita)■ロサンゼルス生まれ。ワシントン大学で 建築学修士を取得するために1989年にシアトルへ。在学中にボランティアとして 参加以来、約25年間にわたってインターリムに勤務。不動産ディレクターとして、 2017年にオープンしたヒラバヤシ・プレースの開発プロジェクトなども手掛けた。

インターリム・コミュニティー開発機構| InterimCommunity Development Authority
インターナショナル・ディストリクトで低所得者向け住宅の開発と運営を行う非営利団体。近隣住民でつくるコミュニティー・ガーデンの運営や青少年のリーダーシップ育成プログラム、インターナショナル・ディストリクト地区の声を地方行政へ提言する政治的活動も行う。そうした活動は、ビル&メリンダ・ゲイツ財団を始め、シアトル市やさまざまな地元企業・財団・個人から支援を受けている。

2016年に完成し、2017年に公式オープンしたヒラバヤシ・プレースは、 インターリムが手がける低所得者向け住宅のひとつ。地上階には託児所や 地区コミュニティーが使える会議室ほか、日系移民の歴史を伝える展示ス ペースもある

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310 Maynard Ave. S., Seattle, WA 98104
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