シアトル市内のワイン店、マドロ-ナ・ワイン・マーチャントでは、地元日系アーティストによる二人展が5月5日まで開催中だ。力強い裸婦像が印象的な日系2世のエイミー・ニカイタニさんの作品と、戦前の日本町の写真館で撮影された肖像写真をモチーフとした日系4世のミシェル・クマタさんの作品が展示されている。世代は違っても、アートを通じて強い絆で結ばれたふたりに話を聞いた。
エイミーさんは、驚くほどに元気な95歳。インターナショナル・ディストリクト(以下ID)にある高齢者向けアパートから、待ち合わせ場所であるパナマ・ホテルのティールームまでの坂道を、ノルディック・ウォーキング用の2本のストックを使いながら、しっかりした足取りで歩いて来た。同様に、その生き方もパワフルだ。
1923年、両親の経営していた日本町のホテルで生まれ、ケントで育った。「アートスクールに進みたかったけれど、父親の反対でコスチュ-ム・デザインの学校に進んだのよ」。しかしそれも、日米開戦での日系人強制立ち退きで中途に終わった。結婚し、5人の子育てに毎日が忙しく過ぎたが、34歳でエジソン・スクール(現・シアトル・セントラル・カレッジ)で念願のアートを学び始める。40代半ばにボーイング社のアート部門に入り、やがてスーパーバイザーに。1986年に早期退職するまで18年間勤務した。
描くことはずっと続けてきた。IDの建物描写に、人も車も少ない日曜朝に通い続け、「11ブロック分の絵を仕上げたの」と笑う。日本町に生まれ、今また旧日本町に住むという、それだけでも十分ユニークな存在のアーティスト。エイミーさんの作品は同地区で2016年に完成し、2017年に公式オープンしたヒラバヤシ・プレースに展示されているほか、2018年には日系アメリカ人ゆかりの建物、ジャクソン・ビルディング脇に日本町の歴史を伝えるパネルとして登場している。
エイミーさんいわく「年齢で言えば、親子みたいな関係」のミシェルさんもまた、シアトル生まれだ。ワシントン大学でグラフィック・デザインを学び、イラストレーションに転向してニューヨークのスクール・オブ・ビジュアルアーツで学位を取得。創刊されたばかりの『ノースウエスト・ニッケイ』(『北米報知』英語欄の前身)での仕事の後、『シアトル・タイムズ』では11年近く勤務し、温かみのあるイラストで紙面を彩った。そしてIDにあるウイング・ルーク博物館でアジア太平洋系市民の体験展示のディレクターを12年間務め、昨秋に退職。
展示中の作品は、戦前の日系人を写したウイング・ルーク所蔵の写真コレクションが土台だ。イラストから始まった創作活動は、今ではデザイン、ソフトスカルプチャー、コスチュームと幅広い。これからは「母方に、サンパウロに移住した親戚が多いので、夏にはその人たちを訪ねて記録をまとめたい」と、ミシェルさん。日系ファミリーの歴史の記録となる写真を多く収蔵するウイング・ルークでの経験が、そう決意させたに違いない。
「自分のしたいことができる今がいちばんいい。100歳まで生きたいと思っている」と話すのは多趣味でアクティブなエイミーさん。この春は、アラスカ・クルーズに出かける予定だ。ミシェルさんも「エイミーの情熱には、私も意欲をかきたてられます」と返す。ふたりは今もなお、月に2度、裸体モデルのデッサンに一緒に出かける仲で、取材中もずっと母娘のようなやり取りが続いていた。取材後の帰りも「健康のために歩く」というエイミーさんに、付き添って歩き始めるミシェルさん。アートに魅せられて、共にその道を歩んできたふたりだ。
(文・写真:楠瀬明子)